戦後70年の今年、8月を中心に様々な戦争に関する特集が組まれ、
私自身も今まで以上に戦争体験者の貴重なお話をうかがう機会を多く得ました。
もうすぐ発行される学校誌「友情」にも、「戦後70年目の夏に」というタイトルで文を寄せました。
私たちが決して忘れてはいけない戦争の「記憶」。
語り継いで次の世代へと受け継いでいくことが大事だと思っています。
そんなとき、一冊の冊子が出来上がりました。
「浜一中51回卒業生の学徒動員」という冊子です。
旧制中学の浜一中(現在の浜松北高)に在籍した51回卒の同期が動員学徒としてどんな戦争体験をしたのか、この春までずっと「五一会」という同窓会誌の発行に携わってきた父が、50号を数える「五一会」の中から抜粋し、一冊にまとめたのでした。
そこには、軍需工場に動員された少年達の体験が綴られています。
中島飛行機、東洋木工などの工場でどんな仕事をしたのか、
昭和19年12月7日の大地震、
そのすぐあとから始まった空襲、
浜松を焼き尽くしたと言われる20年6月の浜松大空襲の生々しい様子、
そして8月15日のことなどが書かれていました。
記憶の糸を紡ぐように書いた方、
鮮明な記憶として切々と訴える方、
それぞれの文章の趣は違いますが、
浜松に育ち、戦争の時代を確かに生き抜いた皆さんの文章は、
いずれも読みごたえのある、重いものでした。
自宅にお電話をくださるあの方が、戦争中このような体験をされていたのか・・・と驚くこともしばしばありました。
父の会話に出てくる同級生の方々の体験だけに、
娘としてとても身近な感覚を持って読み進めました。
夏からずっとパソコンに向かって友人達の文章を打っていた父を見ていました。
同じ頃、自分自身も卒業生の方などに戦争体験をうかがうことをしていました。
親子で戦後70年目の夏に「戦争の記録」にささやかながら携わっていたのです。
この冊子には、西遠の動員学徒や先生のことにも触れた文章が複数あり、何度も「愛の灯」像が目に浮かびました。
橋本みつ様が学徒動員のお姉さまを失った時のことを綴ったあのお手紙の内容が、何度も脳裏によみがえりました。
同じ時代、男子も女子も、「お国のために」懸命に働いていたことがうかがわれました。
切なく苦しい気持ちになります。
今の10代には考えられないことでしょう。
父は、表紙の写真は夏の雲にしたいといっていました。
8月のある日、いい青空の広がる日がありました。
表紙の空は、その日父が撮影したものです。
1945年8月15日の空も、こんな空だったそうです。
「B29も飛んで来ない、静かな空だった。」
と冊子の扉に書かれていました。
冊子の文章を書いた方の中には、すでに亡くなられた方もいらっしゃいます。
「忘れ去るには余りにも勿体ない貴重な話」として、
「先に逝かれた方々のご冥福を祈りつつ、我々同級生の記念碑として、世に残しておきたいと思う。」
と「発行のことば」に綴った父の思いを、
戦争を知らない世代の私もまたしっかりと受け止め、
次の世代へと語り継いでいきたいと思っています。