12月19日の講堂朝会は、1年から6年まで全員が講堂に集っての「全校講堂朝会」でした。
この時、私は、西遠の校歌が、岡本富郎先生と親友の安部忠三さんの友情から生まれたものであることをお話しました。
そして、富郎先生は校歌というより「寮歌」のような歌が西遠に欲しいと願っていたこと、
大人になって台所で立ち働きしながら口ずさむことのできる歌・孤独な時に歌える歌・友人と集った時に一緒に歌える歌
・・・そんな願いが校歌誕生にはあったこともお話しました。
みなさんが冬休みを前に提出してくれた感想文には、校歌誕生の背景を知った皆さんの素直な感想があふれていました。
そして、それは学年が上がるごとに、特徴がありました。
昨日の「授業納めの式」でも少し紹介しましたが、
少しずつブログでも紹介したいと思います。
1年生は、こんな感想を綴っています。
安部忠三さんがあっという間に書き上げてくれた校歌の歌詞には、一つ一つの言葉にしっかりとした意味がありました。校歌は2番までだと思っていましたが、5番までありました。言葉の意味も、講堂で先輩が答えてくれたために、理解することができました。一つ一つの言葉の意味が分かりました。これからは、校歌の意味を踏まえて歌いたいです。
私達下級生のために、主に6年生が校長先生の質問に答えてくれました。そして、校歌の歌詞を読み解きました。私がすごいなと思ったことは、校長先生の質問に先輩がすぐに答えられているところです。私も先輩のように、難しい文法も解けるようになりたいなと思いました。
今回初めて5番まで音読して、いろいろな言葉が出てきて、読みが難しい所や聞いたことのない言葉が出てきました。先輩方が意味を言ってくださったので、いろいろな意味が分かりました。5番まで初めて歌ってみて、やはり長い歌詞なので、作った方はすごいと思いました。
校歌を作ってくれたのが親友であったということに驚きました。歌詞を見ていると、いろいろな風景が浮かび上がってきました。「月の光」「日ぞ照らす」「風にさゆらぐ」等の言葉に、とても親近感がわいてきました。私は、友達を大事にしていきたいと、校歌を通して思いました。親友がいること、そして共に歩んでいけることが、どれだけ大切なことかも分かりました。私の母は西遠で一生の友達を作れたと言っていました。そして校歌も、今でも覚えていました。「口ずさんで校歌を覚えていてほしい」という富郎先生の気持ちと、母の言葉が重なりました。
西遠に入学して、その生活に慣れることだけで精いっぱいの1年生が、難しい言葉の意味を知って、校歌について新しい発見をしました。
そして、西遠で絆を結んでいく「友情」の大切さにも気づいたようです。
また、先輩たちが自分たちの知らない言葉をたくさん知っていることへの驚きと敬意も伝わってきます。
12歳が18歳を間近に見る環境ならではのことだと思います。
2年生の中には、こんなエピソードを語ってくれた生徒もいます。
実は数日前、祖父の家でゆっくりしていたら、校歌が口を突いて出て、知らない間に歌っていました。祖母から言われて初めて気がついたのですが、ほんと驚きで、自分ではないような、錯覚を起こしているような、変な感じがしました。びっくりです。西遠の校歌がどのようにできたのかを再確認することができたので、これから今日のことを思い出しながら歌いたいと思います。
ふと口ずさんでほしいという富郎先生の願いは、こうして叶っているんですね。
また、自分の学園生活と重ねての感想もありました。
4番の「をとめごの こころ明るし ながるるや 五月の風の さはやかに 青葉ぞわたる 丘の上に 歌へよろこべ ほがらかに」という歌詞が、いかにも西遠生のような歌詞だなと思いました。西遠にいると、いつでも友達と楽しく、何でもやれるような気がし、歌も歌いたくなるほどの楽しさです。これからも、そんな日々を大切にしていけたら良いと思いました。
校歌の歌詞の中に、今の生活が重なるって、素晴らしいことですね。
作詞をした安部忠三さんも喜んでいらっしゃるでしょう。
このコーナー、続きはまた…。