10日ぶりに、朝、正門に立ちました。
やっぱり、朝、「おはようございます」と言って生徒の皆さんを迎えられるのは幸せなことだなんだなあと、今朝しみじみ思いました。
声が出なかった間、意思の疎通を図るのに『声』がいかに大切であるかを痛感した次第です。
遠くにいる生徒を見つけても、「おはよう」も「さようなら」も言えないもどかしさ。
せっかく挨拶してくれたのに、口パクで返事するしかない申し訳なさ。
生徒の皆さん、この10日間、挨拶や会話が出来なくて、ホントにすみませんでした!
今日も「先生、大丈夫?」と心配してくれる生徒もいて、ありがたかったです。
先生方にもご迷惑をたくさんお掛けしました。
いまだにハスキーボイスのままなので、「校長先生、しゃべらなくていいです!」と言われる場面もしばしば。
が、自分としては、以前の「声量」には戻ることができたので、話したくてうずうずしているのです。
「量」がクリアできたので、あとは「質」ですね。
かすれない声質に早く戻りたいです…。
実は、2011年の夏に、一ヶ月間声が出なかったことがありました。
先生方の多くはそのことをご存じなので、またああなってはいけない、ということで、「しゃべっちゃダメ!」と叱ってくださるのです。
あの時は、本当に1週間たっても声が出ず、通院しましたが全く治らず、大きな病院にも通い、夏休みの面談&講習もキャンセルして、
本当にたくさんの方々にご迷惑をお掛けしました。
授業は黒板に書きまくって、プリントも出して、何とか声なしでやりましたが、
生徒の皆さんには質の高い授業を提供できなかったわけで、申し訳なさと悔しさを抱えておりました。
クラスや学年の保護者の皆さんにもご心配をおかけし、夏の三者面談を8月後半にずらしていただいたりして…思い出すと、よく皆さん文句も言わず協力してくださったなあ…と感謝と恐縮しかありません。
あの時は、いつ治るかという保証もなく、先の見えない不安の中で夏休みに入りました。
お医者様に「声帯を使わないで生活しなさい!」と言われたため、とにかく一刻も早く声が出るように「頑張って声帯を使わない生活をしなくちゃ」と決意、
温泉に行って養生、というプランも提案されましたが、かえって温泉はおばちゃんたちと知り合いになっちゃって、出ない声でもしゃべらなくちゃいけなくなるかも…と思い、温泉は断念。
ちょうど留学中だった娘からは「パリに来れば?私は忙しいから相手はしないし、フランス語通じないから、誰ともしゃべらなくていいんじゃない?」というありがたい海外療養ツアーも提案されましたが、ちょっと現実的に無理よ…とこれも断念。
「そうだ、都会の方が不愛想に生きていける!東京で一人でいよう!」と考えついて、結局、花の東京で5日間の隠遁生活をしたのでした。
確かに、東京というところは、声を出さないでも生活できました。
美術館に行ったり、映画を見たり、銀座を散歩したり、持参したいっぱいの仕事をこなしたり…。
ホテルの方には、「声が出ない客」であることを前もってお知らせしておいたので、それなりの対応もしていただきました。
そうやって、声帯を全くと言っていいほど使わず過ごしました。
そしたら、3日目だったでしょうか、思いもかけず、突然、声が戻ったのです!
ちなみに、1か月ぶりに発した言葉は、
感動的な言葉でもなんでもなく、
「モッツァレラ・・・」。
そこは、ランチを注文したレストランでした。
メニューを指さして不愛想に注文を完了したはずなのに、
戻ってきたウェイターさんが、「このランチの味付けは、モッツァレラと何とかの二つあるけど、どちらにしますか?」と質問してきたのです。
「(ええ・・・?)」
手元にメニューはもうないので、指さしでの意思表示は不可能。
仕方なく、出ない声で「・・・モッツァレラ・・・」と口を動かしたのです。
そしたら、なんと、声になったのです!
ハスキーボイスで、しかも、思いもよらないような変な音程ではありましたが、
きゃあ、出た!…と心の中で小躍りしました。
久々に出た言葉が、「モッツァレラ」とは、色気も何もないのですが、私には大事な第一声でありました(というか、私らしいですね!笑)。
その後は、ゆっくり声が戻ってきました。
あの時身にしみて感じた「声」の大切さ。
今回、風邪をひいたのは私の不注意なので、
喉が弱いんだという自覚を持って生活しなくては、と反省しました。
ホントに気をつけなくてはいけないと肝に銘じた次第です。
というわけで、皆さん、声は大事な伝達手段です。
声が出るありがたみを味わいながら、明日からも門に立ちます。
生徒の皆さんには、ぜひ私以上に大きな声で挨拶してもらいたいな、と願っています。