「何でもなかった1月が・・・」

平成9年度、私は2年菊組の担任で、
学級通信「菊組日和(きくぐみびより)」を発行していました。
今日、久しぶりに「菊組日和」を読み返してみました。
確か、「何でもなかった1月が…」というエッセイを書いたなあ、と思い出して…。
ファイルをめくると、ありました、ありました。
平成10年1月21日発行の第49号です。
ちょうど18年前の今日ですね。

昔のエッセイですが、ここに掲載させていただきます。
ちょっとの間、お付き合いください。
昨日は大寒。私の娘は大寒に生まれました。恥ずかしながら、私は大寒なんて意識したこと、娘を産むまでなかったと思います。1月に子どもを産んで初めて、大寒の頃の厳しい寒さを実感したのです。それまで何でもなかった1月が、娘を出産した年から、“特別な月”になりました。寒さも、梅のつぼみのほころびも・・・、今まで気づかず生きてきたのだと思うと、すごくもったいなかったナーと思います。その分、11年前に1月が私にとって特別な月になった時から、私は1月のほんの小さな発見も、うれしく記憶するようになったのです。
皆さんにとって、1月はどんな月ですか? ただ寒いだけ? 春の足音は聞こえてきませんか? 梅も今年は早くから咲き始めました。気づいていますか? オリオン座も天高く輝き、夜半には西の方に傾き始めています。見てますか?――1月の天地、よ~く見てみましょう。
昨日はピザを食べました。(誕生日は20%off!) 11年前はバスタオルの中にたためるほど小さかった娘、今はピザに舌鼓を打ち、身長も1月の計測で140センチを超えたと大喜び。11年はあっという間です。何か、母子手帳やアルバムを開いてみたくなった誕生日の夜でした。
皆さんのお宅でも、皆さんが生まれた瞬間から特別な月になった月があるのでしょうね。そんなお話、親子でしてみませんか?

~学級通信「菊組日和」より~


この文章を書いた数日後、クラスのあるお母様からお手紙をいただいたことも、忘れ難い思い出です。
お手紙には、「私も14年前の1月を思い出しました。」と書かれていて、お嬢さんのMさんが生まれた時のことを綴ってくださったお手紙でした。
東京で出産したお母様、浜松からご両親が孫の顔を見に上京する日、東京にドカ雪が降ったため、大変な思いをして会いに来てくださったのだそうです。
今でも東京は雪、というニュースを見ると、「あの時は…」と話題になるのだそうで、「(孫の誕生で)両親にとっても特別な1月になったようです」と手紙は結ばれていました。
お母様としての愛情がたっぷりこもったお手紙で、感動したのを覚えています。
「菊組日和」には、生徒のエッセイだけでなく、お母様のエッセイもたくさん掲載されています。
親子の交流がたくさんあった一年だったなあと、あの頃に心が飛んでいきました。
第1号には、「45人、笑顔で咲こう!」の見出しが。
おお、あの頃は45人の大所帯だったのですね!
富士山林間学校、「富士山麓山の村」に3泊した最初の年でした。
台風が来ましたよね。
音楽コンクールでは「木琴」を歌いました。
防災頭巾をかぶって練習したことを覚えています。
「親子で語る」もありました。
「学年スポーツで優勝!」の文字も踊っています。
手書きの学級通信は、その1年間の生徒の皆さんの成長を書き綴ったものですが、
同時に、自分自身の記録でもあったのだなあと、いま読み返してみて思います。
「何でもなかった1月が…」は、その頃の私の本音。
学校のことではない、そんな話を通信にのっけて、
そこに共感してくださるお母様がいて・・・、
ご家族の皆さんの温かい包容力に包まれてあの頃を過ごしていたのだなあとしみじみ感じました。
今年も娘の誕生日が来ましたが、ピザを注文することもなく、娘の住む東京の雪を心配しています。
あの時お手紙をくださったMさんのお母様も、大雪のニュースを見ながら、Mさんの生まれた時のことを思い出していらっしゃるのかなあ…。
そんなことを考えていたら、だんだん、あったかい気持ちになってきました。
自然と笑顔になりますね。
西遠は今、1月の定期テストを迎えています。
受験生たちは、私大の受験も迫ってきましたね。
生徒の皆さん、寒さにも雪にも負けないで、頑張ってくださいね。
皆さんが生まれた時から、その月を「特別な月」だと思っているご家族が、
今日も皆さんを応援してくれています!