今日3月11日は、東日本大震災が起きた日です。
あれから5年。
今年は、曜日の巡りで、あの日と同じ金曜日となりました。
今朝は、全校放送を行い、全校生徒で黙祷を行いました。
犠牲になられた方々のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
そして、甚大な被害をもたらした大震災と津波のことを風化させず、東北地方の復興に協力していきたいと思います。
5年前の3月11日、西遠では中学音楽コンクールが行われていました。
休憩時間が終わり、いよいよ中学3年生の部が始まり、最初の3年藤組が歌い出した時、
客席の1、2年生たちがざわつき始め、「何があったの?」と不審に思ったのを覚えています。
最初、地震の揺れだと気づかなかったのです。
そのくらい、静かな、不気味な、そして長い揺れでした。
まるで船に乗っているかのような、ゆさり、ゆさり、という揺れ。
すぐに収まるだろうという大人の感覚をも裏切る長さの揺れに、合唱は制止され、そのあと講堂内は騒然となったのでした。
あとで聞いたところ、ステージにいた3年藤組の生徒たちも、揺れに気付いたのだそうです。
しかし、指揮者の「歌うよ!」というアイコンタクトで、歌に集中したのだということでした。
袖にいた教員が制止するまで、彼女たちは実に整然と(きっと不安を払いのけるように一生懸命)歌っていました。
あの時、舞台にいたのが66回生、そして客席にいた下級生たちが、67回生と、つい先日卒業した68回生でした。
そうです、生徒としてあの音楽コンクールを体験した人は、もう西遠にはいないのです。
5年という歳月が流れたのだ、と実感します。
しかし、あの体験は風化させてはならないと思います。
生徒の動揺を鎮めてコンクールが再開され、藤組はもう一度、最後に歌い直しの舞台に立ちました。
雪組がステージに上がった時に、余震が来ましたが、生徒も先生方も冷静に対処しました。
コンクールが終わり、JRの不通という事態に対処し、JR利用生徒はご家族の迎えを待つことになりました。
あの夕方の寒かった記憶、西グラウンドから事務室へトランシーバーが通じなかったこと、中学の先生方がみんな交代で対応に当たったこと・・・記憶がよみがえります。
携帯電話がつながらなくなり、周辺道路も渋滞し、学園内外の連絡が錯綜して、最後の生徒が保護者の方に会えたのは午後8時を回っていました。
大津波の甚大な被害を映像で目の当たりにしたのは、そのあとでした…。
東北から遠く離れた浜松では、混乱はその程度ではありましたが、
災害時の問題点が浮き彫りになった日でもありました。
あの日のことを教訓にして、西遠では防災について見つめ直し、災害対策を進めています。
5年の歳月は、長いけれど、
人々の悲しみを癒すには十分な時間ではありません。
たくさんの悲しみや辛さをかかえ、今もなお生活に不安を抱いていらっしゃる方がたくさんいます。
原発の問題も大きな影を落としています。
風化させない、ということは、そういう現実を知っていること、知ろうとすることであり、
さらに、私たちが自然に畏敬の念を持ち、謙虚に周到に生活しなくてはならないことだと思います。
「安全はマスト項目」…卒業式でも紹介した言葉です。
私達が忘れてはならない判断基準だと思います。