朝の連続テレビ小説も、最終盤に入りました。
春休み中、毎日楽しみに見ている生徒も多いのかもしれません。
オオバは、「あさが来た」は毎日録画をして、夜見ております。
幕末から明治にかけてのドラマということで、大変新鮮な半年間であると同時に、
女子大学設立を目指す主人公の言動は、とても興味深く感じられて、毎日楽しく見ることができました。
特に大隈重信さんに対して行なったプレゼンテーション!
あの熱弁には感動しました。
創立記念式でも申しましたが、明治時代の女子教育に対する世間の風当たりの強さが、あのドラマを見ているとひしひしと感じられます。
そんな時代に、東京でも大阪でもなく、一地方の浜松の地で女子学校の創立に向けて奮闘された創立者岡本巌・欽夫妻の熱意も、あささんの後ろに見えて来るように思いました。
この朝ドラ、もう一つ、私には、興味深いことがありました。
主人公のあささんは、日本女子大学の設立に尽力した広岡浅子さんがモデル。
そして、日本女子大には、平塚らいてうさんが入学しています。
(今日は、まさしく彼女がドラマに登場。)
彼女の1年下に長沼智恵子という女性が学んでいました。
ドラマには登場しないようですが、長沼智恵子って誰かご存知でしょうか。
後の高村智恵子。詩人で彫刻家の高村光太郎の妻です。
そう、詩集「智恵子抄」で、「東京には空がない」と言った、あの智恵子さんなのです。
あささんが自転車を乗りこなすシーンがドラマに出てきましたが、
智恵子さんも大学時代に自転車を最初に乗りこなしたというエピソードが残っています。
光太郎を学んでいた私にとっては、このこともまた、ドラマへの興味を高めることになりました。
【追記】
30日のドラマ内で登場した雑誌「青踏」。あの表紙の絵を描いたのも長沼智恵子です。
ついでに言いますと、成澤泉なる登場人物のモデルである日本女子大初代学長の成瀬仁蔵さんの胸像が大学内に飾られているそうですが、その作者が高村光太郎だそうです。
そのことは、今回、「高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ」で知りました。
→こちら。
関連がいろいろわかると、ますます興味が増しますね。
因みに、連翹忌とは、4月2日になくなった光太郎の命日を言います。
連翹(レンギョウ)、西遠にも咲いています。
さて、次週からは、いよいよ浜松のロケも登場する「とと姉ちゃん」です。
明治時代から時代は昭和初期へ。
遠州地方の織物産業も登場しますので、そちらも大変楽しみです。