4月16日に行った「全校講堂朝会」の集会記録を読んでいます。
各学年から提出される「集会記録」は、もらうとすぐに読んでしまいますが、
そのあと、コメントを書き入れるためにゆっくり時間をもらいます。
という訳で、休日の今日、のんびりと一人一人にコメントを書きながら、読んでいる次第です。
今年度一回目の講堂朝会では、全校生徒&先生方で「群読」に挑戦しました。
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」です。
その感想を読みながら、「6学年で集うって大事だな」と思いました。
例えば、中学1年生。
こんな感想がありました。
今日、初めて講堂で1年から6年生までが全員集いました。前に座っている2年生の話を聞いている態度にすごく感心しました。視線をしっかりと合わせて、うなづきながら聞いていました。こんな素敵な先輩を間近で見られることができ、とても嬉しかったです。
上級生を見て、育っていくということが分かりますね。
高校3年生には、こんな感想が。
「雨ニモマケズ」を、学年ごと、誕生月ごと、姉妹グループごと、先生で読んで、学年ごとで読むとやっぱり息が揃っているなと思いました。やっぱりこれだけ長い時間を一緒に過ごしていると、団結って深まるんだなあと思っていました。最後の「ワタシハナリタイ」を全員で言った時は、校歌を歌った時より声が大きいなと思いました。
全体で詩を読んだ時、6年生の声が一番低く、でも一番まとまって読めていたと思いました。6年間も共に過ごすと、一致団結力がすばらしいと感じ、嬉しく思いました。
校長先生に詩の行を割り振られた時、「姉妹グループはあまり声は出せないな」と思っていたら、思っていた以上に声が出ていたので、2回目は私も頑張らなきゃと思い、ちゃんと声を出すようにしました。
学年の団結力を感じたり、後輩たちの頑張りに刺激を受けたり。
下級生たちも、こんなことを考えながら、声を出していたようですよ。
今日の群読は、はじめ少し不安でぼそぼそ言っていました。でも、慣れてくると、言うのが楽しくなり、声も大きくなっていき、最後は大きな声で言うことが出来たので、良かったです。全校のみんなで読んでみると、とてもきれいな一つの詩になるんだなと思いました。(2年生)
隣に座っていた子が大きな声で朗読をしていたので、私も読みやすかったし、私も負けじと読むことが出来たので、いつもより少し大きな声で読めました。2回読みましたが、1回目よりもやはり2回目の方が上手にできたので良かったなと思いました。大庭先生と距離が結構遠かったのに、すごく声が聞こえてきたので、みんな音読を頑張っていました。(3年生)
今回、いろいろなパターンで読んでみると、それぞれ少しずつ何かが違う気がしました。声のトーンや大きさによって、一つ一つの文の雰囲気が違いました。私はそれに気づいて、面白さを感じました。一人でつらつら読むよりも、大勢で読んでいる方が、文章の意味や雰囲気をとらえやすくなるのではないかと思いました。(4年生)
校長先生が番号順で読む人を分けていらっしゃったけど、あれは少し緊張しました。特に誕生日。周りに5,6月の誕生日の人がいなくて、小さな注目を浴びました。おかげでめっちゃ上手に読めました。みんなで読むのは気持ち良かったです!最後の「ワタシハナリタイ」のところを読むと、それこそ感動しました。(5年生)
群読には、模範がありました。
3月の文化芸術発表会で、高校2年生(当時)の演劇部員が原爆詩の群読を見せてくれたのですが、その印象がとても強かったようです。また、同級生たちは、それを長崎の平和公園で聞きました。あの地で、あの迫力で聞いた原爆詩は、彼女たちの心に大きく響いたのでした。
群読というと、今まで一番印象的だったのは、昨年度の文化芸術発表会の高校演劇部による、あの群読でした。自分の出番が終わり、講堂の2階で他学年の発表を見ていました。その中で、5年生のあの群読は、会場全体が演劇部員の皆さんに吸い込まれていくような、そんな気がしました。(3年生)
長崎で、演劇部の朗読がありました。すごい迫力で、感動しました。詩は、人の心に届かないと意味がありません。それは、詩だけでなく、コミュニケーションでも大切だと思います。(6年生)
模範となる存在があるのは、やはり素晴らしいことだと思います。
演劇部の皆さんが、今回の群読を引っ張る原動力になってくれたんですね。
詩を朗読するのは意外に楽しかったので、これからもたまにやってください!!!!(3年生)
全校で一つの詩を読むというのも、良い経験でした。なかなか味わえない雰囲気でした。またの機会に、全校で何かやっていきたいです。やっぱり西遠生が集まって何かやるのは楽しいです。(4年生)
という感想もありました。
またの機会を探しておきます!
集会記録には、宮澤賢治の生き方などについての感想もたくさんありました。
また、こちらも、いずれ紹介しようと思います。
詩の朗読をする機会は、なかなか日常生活の中では取るゆとりがないのかもしれません。
でも、10代に良い文学や芸術に出会うことは、心を豊かにします。
感性が研ぎ澄まされている10代にこそ、詩や短歌、俳句とたくさん出会ってほしい。
そして、それを声に出してみてほしい。
できれば、その詩を暗唱してほしい。
50代になると、新しい詩を暗唱、なんてことはなかなか実現不可能なものです。
私自身の経験から言えば、20歳を過ぎたら、暗記能力はガタ落ちでした。
でも、10代で暗記した「春はあけぼの」「奥の細道」「日本国憲法前文」は、よーく覚えているもので、
やはり10代に出会って良かったと思っています。
母が女学生時代にいろいろな詩を暗唱したのだと言って、そらんじるのを、子どもの頃よく聞かされていたこともあり、
10代で詩に出会う、味わう、覚える・・・は、ぜひ今の生徒の皆さんにも提案したいことなのです。
Eテレの「にほんごであそぼ」で素敵な詩が毎日紹介されているのも、そういう意味があるからこそだと思っています。
「ふらんすへ行きたしと思へども/ふらんすはあまりに遠し」という萩原朔太郎の詩「旅上」なども、今の季節にぴったりです。
生徒の皆さん、いい詩とたくさん出会ってくださいね。