講堂朝会で群読した「雨ニモマケズ」。
宮澤賢治は、小学校時代に「やまなし」を教わった人も多く、
我が愛するEテレの「にほんごであそぼ」でも
「雨ニモマケズ」銀河鉄道の夜」「永訣の朝」そして「風の又三郎」と、
賢治の作品がかなり登場していますので、
10代の生徒たちにとってはかなり親しみ深い作者のひとりです。
集会記録には、こんな体験を語ってくれる生徒もいました。
宮澤賢治さんは小学6年生の時に、国語でいろいろな本を読んだので、ある程度は知っていました。図工で賢治さんの書いた本を版画に描いたりしました。賢治さんの本で一番好きなのは「セロ弾きのゴーシュ」です。(1年生)
「雨ニモマケズ」はもちろん私も知っていました。でもカタカナで書いてあることは知りませんでした。(2年生)
「雨ニモマケズ」は小学4年生の頃に暗唱したことがあるので、懐かしい気持ちもしました。昔は意味も気にせず読んでいたけど、今回しっかり宮澤賢治の思いがわかりました。宮澤賢治は有名だから偉そうな人のイメージだったけれど、人気が出たのは彼が死んでからで、本当はこういう謙虚で静かな人だったということに気づきました。(3年生)
「雨ニモマケズ」は、小学生の時の暗唱テストで覚え、校長先生の前で暗唱しました。賢治さんの思いがとても深くたくさん詰まっていると感じました。(4年生)
「雨ニモマケズ」。この詩は、私の通っていた小学校には「毎月、詩を一つ覚える」という習慣があり、やったことを思い出し、ちょっと懐かしかったです。(5年生)
この詩は、私が小学生だった時に何度も読んでいた作品で、つつましやかさを立派だと言う作者に共感していたことを思い出します。(6年生)
詩の暗唱に取り組む小学校さんが多いんですね。
暗記力が優れている時に詩をたくさん覚えるっていいですね。
そして、その詩が「共感」を覚えるほどにその人の身になるって、すごいと思います。
若いって、いいなあ!
無限の可能性があるなあ!
カタカナで書かれているとは知らなかった、という新鮮な驚きも、いいなと思いました。
もしかしたら、読みやすいようにプリントにひらがなで記して、小学生にも読みやすいようにしてくださったんじゃないかな、と先生のご苦労も勝手に想像しています。
出会っていてくれたおかげで、再び出会った時に新たに何かを知ることができます。
幼いころには気づかなかった表現の特徴や、言葉の意味にハッとする
・・・それが成長だと思います。
講堂ではざっと賢治の生き方も紹介しましたが、もともとあこがれていた生徒にとっては、私の紹介などでは足りなかっただろうな、と思っています。
実は私、昔から宮澤賢治にすごく憧れていました。そもそも私が宮澤賢治という人物を知ったのは小学4年のときでした。母が歴史上の人物について描かれた漫画を買ってきてくれました。森?外や樋口一葉も含まれていました。名だたる人物が描かれている中で、最も印象深かったのが宮澤賢治でした。星を見るのが好きで、決して裕福な暮らしではなかったものの、自然と共にあった宮澤賢治。農民に稲作指導をしていた、というのも、自然のためにも人のためにも力を尽くしたいという思いがあったからこそだと思います。私も宮澤賢治みたいに、自然と共存する社会を維持し続けるために、何か自分にできることをしたいと思っています。(4年生)
そんな彼女も、今回の群読で、「雨ニモマケズ」の読み方が分かったと書いてくれました。
賢治をよく知っている人も、あまり知らなかったという人も、同じ講堂で一緒に声を合わせて詩を読んで、
宮澤賢治への思いや、「雨ニモマケズ」への思いが深まったならうれしいです。
「褒められもせず、苦にもされない生き方なんて無理!」
と本音を書いてくれた人も大勢いました。
正直でいいと思います!
賢治が愛されている理由のひとつは、
とても凡人には真似できないような理想の生き方を書いてくれているからだ
と私は思っています。
実は告白しますと…、
私自身、10代の頃には賢治は苦手でした。
あまりにストイックすぎて、正面から見られない感じでした。
歳を重ねて、子育てもして、
徐々に宮澤賢治という人物像をじっくり見られるようになったように思います。
だから、みんなで読みたくなったわけです。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」
簡単になれるものではないと分かるからこそ、
みんなで読みたい詩なのです。
「雨ニモマケズ」という詩一つにも、それぞれの出会いがあります。
一人一人の出会いから今までを、線で引くことができたなら、
講堂朝会という一点で、線は一つになったわけです。
その交わり重なり合った線は、またそれぞれの方向へと広がって行くでしょう。
その後、生徒の皆さんの「線」がどんな道をたどっていくのか、
いつか聞いてみたい気がしています。