今日は、西遠全体が厳かな空気になる日です。
朝、生徒たちは花一輪を携え、登校します。
持ち寄られた花々は、講堂で行われる「殉難学徒慰霊式」の舞台を飾ります。
慰霊式を企画・運営する高校生徒会執行部、そのお手伝いをする中学生徒会執行部が、7時半から花を集め、包装を取っていきます。
フラワーアレンジメントクラブのメンバーが、プランターにオアシスを入れ、寄せられた花を一つ一つ活けました。
色とりどりの花で埋まったプランターは、講堂へと運ばれます。
そうして、慰霊の舞台が出来上がりました。
生徒一人一人が折った折鶴が、オレンジ色の大きな折鶴の形になり、舞台を大きく彩りました。
たくさんのお花が祭壇を美しく飾りました。
橋本みつ様、曽布川様、加賀様からは、祭壇に供える蘭のお花が届きました。
こうして美しく出来上がった舞台で、9:35から「平成28年度 殉難学徒慰霊式」が行われたのでした。
慰霊式の様子は、公式ブログでも詳しく紹介されています。ぜひこちらをご覧ください。
今年の慰霊式には、浜松ユネスコ協会の会員の皆様と、動員学徒ご遺族の曽布川様、そのご友人で浜松市の遺族会の加賀様がご参列くださいました。
曽布川様は、動員学徒のお一人で5月19日の空襲で犠牲となった曽布川麗子様の義妹(麗子様の弟さんの奥様)として、麗子様の慰霊をずっと続けていらっしゃいました。
先日お電話をいただきましたので、ぜひ慰霊式にご参列ください、とお願いし、今日のご来校が実現しました。
慰霊式に先立ち、曽布川様から、
「5月19日の空襲では、同じ防空壕に逃げた19人が亡くなったんです。でも、お一人だけ生き残った方がいらっしゃるんですよ」
とうかがい、びっくり致しました。
去年の慰霊式でお手紙を読ませていただいた橋本みつ様のお姉様「鈴木さださん」も、同じ防空壕で亡くなっています。
壕のすぐ横の水道管に爆弾が命中し、溢れだした水で壕が埋まって、たくさんの学徒の皆さんが亡くなったというお手紙は、代読した私にも、会場にいた皆さんにも、大きな衝撃と悲しみをもたらしました。
その壕で、たったお一人奇跡の生還を果たされた方がいらしたとは、私も今まで全く存じ上げなかったのです。
曽布川様が一通のお手紙を差し出してくださいました。
それは、生き残った唯一の西遠生「大杉暁子(旧姓 金原)様」からの、爆撃の日のことを記したお手紙でした。
お一人だけ生き残り、お身体に大きな怪我ややけどを負った大杉様は、2週間生死の境をさまよったのだそうです。
痛みと闘う中で、19人の亡き友が『私たちの分まで生きて、皆のためになることをやってね』と言っているように感じ、その後も苦しいことがあってもめげずにやることが亡き友への使命と思って生きてこられた、と、大杉様は曽布川様へのお手紙に書いていらっしゃいました。
曽布川様からお手紙をお借りし、慰霊式のお話の中で、このお手紙の一部を読ませていただきました。
防空壕の中、20名の友人が皆で「お母さん」「お母さん」と叫んでいたというくだりは、切なくて仕方なかったです。
19名のご遺族の方にとってはなおさら「お母さん」の叫びはさぞ胸に迫るものでしょう。
お姉様の死を悼んでいらした橋本みつ様のお顔が浮かびました…。
お一人だけ息を吹き返した大杉様、
お一人でどんなにかお辛い思いを背負って生きてこられたのかと考えると、
戦争という理不尽に憤りを感じざるを得ません。
そんなことが二度と繰り返されてはならないと思うばかりです。
一緒にご来校くださった加賀様は、遺族会に入っていらっしゃいます。語り部としてのご活動もされていらっしゃるのだそうです。
加賀様は、戦死されたお父様から、お母様にあてた軍事郵便を見せてくださいました。
中国から届いたお手紙でした。
お父様の戦死は、昭和21年になって知らされたとのことです。
お母様は、戦後ずっとこのお手紙のことも含め、遺品は残っていないとおっしゃっていたのだそうです。
本当は大事に大事に旦那様からのお手紙の束を保管されていたのですね。
そのお母様も、今年2月に94歳で亡くなられたとのことでした。
ご家族の戦争の歴史は、まだ決して終わっていないのだと思いました。
式のあと、お二人を「愛の灯像」の前にお誘いしました。
式で流れた岡本富郎先生のお声を脳裏によみがえらせながら、改めて碑文を読みました。
像の裏側に回り、義姉「曽布川麗子」の文字を探す曽布川様。
一番上の段に書かれていました。
お二人にお会いできて、もう1つ大事なことを聞きました。
大杉様がご存命で、市内にお住まいであるということです。
ご入院中で今日は西遠に足を運ぶことができなかったそうですが、
いつかお目にかかって詳しいお話を伺いたい、と心から思いました。
戦後71年、今日の慰霊式でまた大きな出会いをいただきました。
曽布川様、加賀様、本日はご来校くださり、貴重なお話をお聞かせくださいまして、本当にありがとうございました。
戦争の恐ろしさ、平和の尊さを、今日の慰霊式で感じたであろう生徒の皆さん、
どうかこれからも西遠に学ぶ生徒として、戦争のことを深く知り、平和を深く愛する人になっていってください。
それが西遠に集う教師と生徒の使命であると、私は考えています。
今までも、これからも…。