今日は、高校の講堂朝会でした。
挨拶の話、教養の話を経て、前回の講堂朝会で生徒の皆さんが書いた感想を読み上げました。
前回の講堂朝会、というと、5月14日にさかのぼります。
これから県大会に臨む部活動の健闘を祈り、エールを送った回でした。
同窓会のお話や、慰霊式と平和についてのお話もしました。
このお話に対して、高校生は大変素直に、そして丁寧に感想をまとめ、提出してくれました。
中でも、高校3年生は、「最後の慰霊式」「最後の大会」という万感の思いを抱き、
自己と闘い、友と切磋琢磨しつつ、後輩への熱い思いを持っている様子が、集会記録の文面に表れていました。
そこで、高校3年生の感想を中心に皆さんにご紹介したいな、と思い、読み始めたのですが、
文を紹介しているうちに、不覚にも落涙。
こういう時、読み手の声が震えていたら、皆にきちんと伝わらないのに、
聞いている高校生には申し訳ない展開でした。
反省…。
涙声になってしまって聞き取りにくかったであろう「弓道部」の先輩後輩の文章を、ここに掲載します。
≪高校3年生の集会記録≫
私は弓道部です。西部大会の個人戦で8射4中して、県大会に行くことができるようになりました。西部大会までの間、6年生になって周りの友達がほとんどみんな受験モードで、平日もすごくたくさん勉強するようになりました。そんな中、自分は毎日部活で、家に帰るのが19時で、勉強を開始するのが20時とか21時になったりします。その時点でみんなとは3~4時間の学習時間の差があり、それが5月いっぱいまで続くと、焦るし、皆に追い抜かれそうになり、正直に言うと、早く部活を辞めて勉強したい、とか、皆に置いていかれたくない、とか思っていました。でも、西部大会当日になり、実際に矢を打っている時、中2から今まで約4年半、ずっと頑張ってきて、高校の最後の大会で「早く辞めたい」という思いで打つのは、どうしてもできませんでした。やっぱり弓道が好きだし、同級生の弓道部員も、後輩のことも好きだから、もう少し、このメンバーで弓道をやりたいと本当に思いました。その気持ちのおかげなのか、西部大会で、県大会出場を決めました。すごくうれしかったし、大会前の気持ちとは異なり、勉強も部活を言い訳にせず頑張ろうと思いました。
≪高校1年生の集会記録≫
私は弓道部に所属していて、高校1年生になり、初めて総体西部地区予選に出場しました。いつもと違う緊張した空気が漂っていました。今回の大会は「8射4中」した選手は県大会に進めるもので、ふだんのライバルは同じ学年や同じ射場に立っている自分以外の選手でも、今回の西部地区大会のライバルは自分自身なのです。私は「4中しなければ。4中しなければ」と的中のことばかりを意識してしまい、心が乱れて思うような弓道ができず、練習の成果を発揮できませんでした。そんな中、高2や高3の先輩方は、一人、また一人と予選を通過していきました。高校3年生の先輩にしてみたら、今回が最後の大会で、6年間積み重ねてきた成果がこの一瞬で決まってしまいます。きっと私が体験したあのプレッシャーの何倍ものプレッシャーを感じていたはずです。その中でほとんどの先輩が通過したことは、自分のことのようにとても嬉しかったですし、やはり先輩たちはすごいなあと心から実感しました。2年後、3年生になった時に、先輩方のようにあの場で輝いた実績を残すことができる自信は今の私にはありません。自信を生むには、自分のことを信じられるほどに練習に励み、様々な経験を積むことが大切だと私は考えます。今後も、先輩たちの背中を追いかけて、いつかは追いつくように弓道を頑張りたいと思います。
試合に臨む彼女たちの心の内が迫ってきて、泣けちゃいました。
他の部活動のみんなも、こういうことを思いながら日々過ごしてきたんじゃないでしょうか。
受験勉強への焦りや、自分自身との闘い、プレッシャーと集中力、
そして「もう少しこのメンバーで部活をやりたい」という思い。
それを後輩たちも感じていて、先輩たちに憧れ、追いつきたいと感じ、背中を見つめながら頑張るのです。
一人一人の集会記録を読みながら、感動し、そして、全ての人に返事をしたいと思いました。
提出してくれたみんなの分は、遅くなりましたが、来週皆さんのもとに戻します。
待っていてください。
そして、こうした先輩の思い・後輩の思いを紹介しながら、
「学校」というものの大きな役割、
「学校に通う」ということの大きな意味を
一つ見出したように思いました。