元来『書くこと』は嫌いではありません。
むしろ、好きです。
が、なかなか難しいなと思っています。
小学校時代、作文を上手に書きたくて、結構頑張ったのですが、
「文集はままつ」にはなかなか学校代表として載ることができず、
「いつか載る!」はほぼ野望となっておりました。
そして、忘れもしません。
6年生の時に、担任から「意見文を書いてみないか?」と言われたのです。
「意見文?」といぶかる私に、担任はこう告げました。
「意見文なら、『文集はままつ』に載せられると思う」と。
私は野望を口にした覚えがないのですが、
きっと全身にみなぎっていたんでしょう、
担任にはすべてお見通しだったわけです。
私は俄然張り切りました。
意見文か、意見ね。・・・あ、文句ね!文句ならいっぱいあるよ!
こういう思考から生まれたのが、
「人間専用の道路を」という拙い文でした。
載りました!!
「のせられなかったよい作文」というコーナーに名前だけ載るのではないかと恐れていた私には、
自分の文章が載ったページが輝いて見えました。
西遠に入学すると、1年から6年の6冊の「文集はままつ」に掲載された作文の主がいっぱいいました。
わおっ、ここはそういう才能ある人たちの宝庫なのだ…。
そう思うと、かなり臆しました。
読書感想文や作文では、代表になれることなんてほとんどありません。
読書も嫌いになりかけました。
そういう時、我が家には、先生より手ごわい母がいまして、
私の書いた文章にことごとく文句をつけ、直す直す・・・。
思い出すまま例をあげると、
★『思います』がありすぎ!文末を変えなさい!
★何でもかんでも「とても」を使っちゃダメ!感動がない!
★「すごい」はだめ。具体的に!
もう一回書いて、検閲に合格して、初めて清書…。
文章が上達したとすれば、母のしごき(!)のおかげかも知れませんね。
高校の時に、小論文模試がありまして、とてもいい点数だったと珍しく担任に褒められました。
その直後に、他の教科のおぞましい点数について叱られたのですが、
当の本人は褒められたところで思考が停止しましたので、
何をどう叱られたか、ほぼ記憶がありません!
読書感想文も一回だけ賞状をいただきました。
松本清張の「火の路」という歴史サスペンスものにはまり、奈良まで行った話を書きましたので、
担任には「これは感想文と言えるかなあ。まあ、コンクールには出しておくけど」と言われ、
本人も期待はゼロでした。
が、審査員の先生方が優しかったからでしょう、
紀行文のような、エッセイのようなその感想文が
最優秀賞の5作品の中の一つとなったのでした。
今も続く静岡県私学感想文コンクールの第一回に当たる大会でした。
ちなみに、その夏、「火の路」の感想文と一緒に提出した
夏目漱石の「それから」の感想文(こっちが強制力を伴う宿題でした)は
散々な出来で、無言で返された覚えがあります。
その時のオオバの思考回路は、
読書感想文って本との相性があるんだよなあ、でした。
というお気楽な思考で、何とか生き抜いたオオバです。
大学受験の際は、小論文に助けられました!
大学でもレポートは得意でした!
書くことは難しい。
意見文や小論文は書きやすいけれど、
情緒や感性を要求される文はうまくは書けません。
詩や短歌は評論できるけれど、自分では全く作れません。
純粋さや素直さ、鋭さが必要な分野は、駄目みたいです(笑)。
ただ、自己表現の一つとして
「書くこと」は
大事なアイテムだと思っています。
母の「しごき」のおかげで成長した私は、
娘と息子にもこの「しごき」を継承しました。
彼らがそれを糧としているかはよくわかりませんが、
文を書くことは嫌いではなさそうなので、
きっとこの「しごき」は大庭家の次の世代にも継承されることでしょう。
と、ここまで書いて思い出しました。
集会記録のコメント入れ、途中でした!ぎゃあ。