返礼人形、再びアメリカへ…

太平洋戦争が起こるよりもっと前、日本にアメリカから青い目のお人形がたくさん贈られました。
日米の友好を深めようと、アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリック博士が中心になって、このお人形たちが海を渡ってきたのです。
昭和2年のことでした。
その返礼として日本人形がアメリカにわたりました。
その一人が「富士山三保子さん」でした。
静岡出身のお人形ということで、当時の県知事が命名したのだそうです。
その後の日米の関係は、残念ながら戦争という最悪の事態に進んでしまいました。
友好の印のはずだった人形は、敵国のスパイだとして壊されたり燃やされたりしました。
それでも、草の根の人々がそうっと大事にかくまってくれて難を逃れたお人形もいました。
アメリカのカンザスシティで戦後発見された富士山三保子さんも、そうした人形の一人でした。
今年、傷んだ体とお着物のために里帰りした富士山三保子さん。
彼女の「里帰り展」は、県内各所で行われ、3月下旬の浜松会場にも多くの方々が来場されました。
この時、展示案内ボランティアを務めた高校生の中に、西遠の演劇部員たちがいました。

3月の里帰り展の様子

あれから半年以上が過ぎました。
このたび修繕を無事終えて新しく赤いお着物に着替えた三保子さんが、アメリカに再び渡ることになりました。
渡米に先立ち、お披露目展が11日まで県立美術館で行われています。

12月3日には、その除幕式があり、ボランティアを代表して本校の高3 大淵さんが三保子さんへのメッセージを読み上げました。
三保子さんの里帰り展を通じて、普段の高校生活では出会えない人々に出会うという「ご縁」をいただいたこと、
今後人形や子どもたちが傷ついたりすることがないよう、戦争のない世界を作っていかねばならないこと、
いつかアメリカに三保子さんを訪ねたいという思い
…大淵さんのスピーチは、除幕式に列席した皆さんに感動を与えたそうです。
涙をこぼした方もいらっしゃったとのことでした。

式典の後、大淵さんは、川勝県知事からもお褒めの言葉をいただいたとのこと。
答礼人形「富士山三保子」の里帰りを実現させる会実行委員会の山口会長様からメールもいただきました。
大淵さんのスピーチで、「富士山三保子里帰り展」が「戦争の無い平和な社会」にむけた重要なイベントだったことが会場の皆に再認識された、とのことです。
平和について学び続けている西遠の生徒たち。
その代表が、こうして素晴らしい場に立てること、
そのスピーチがまた次の方へ伝わっていくこと、
大変うれしく思います。
特に高校演劇部は、昨年度から平和について学び、発表する機会を多く持っています。
昨年8月15日の「夕空」上演、今年は「夏の葬列」上演。
高2研修旅行で訪れる長崎の平和公園では、原爆詩の朗読を行っています。

「夕空」のワンシーン

一つ一つは小さなことでも、こうした活動の確実な広がりが、「平和」を堅固なものにしていく力であると信じます。
再び海を渡る富士山三保子さんが、アメリカの人々に、そして世界の人々に、平和への静かなメッセージを発信してくれることを祈ります。