某先生から同窓会誌2冊をいただきました。
「43号は先生もお嬢さんも出ているので、どうぞ。」とのこと。
そして「11号はたぶん先生の学生時代に発行されたものじゃないでしょうか?」と。
お礼を言ってその場でパラパラと中を読み始めると、
43号は平成21年のものですので、
私も「学園の今」を担当しており、パフォーマンス大会や友情編集委員の活動のことを書いています。
「巣立って5年」には高校57回卒の皆さんが登場、娘も文を寄せています。
おお、確かにこの原稿を書いていたんだった、と娘の記事にも覚えがあります。
もう1冊の11号は、おそらく私も初めて読むものでした。
昭和52年10月の発行の11号「そでし」、
確かに私が高校時代のものですので、その頃の西遠を知る一冊です。
・・・と、ページをめくっていったところ、
≪学園近況≫というページの中に、
懐かしい写真がありました。
「アルゼンチンからのお客様」と題されたその記事の写真は、
私たち31回生には忘れ得ぬ、留学生リリアン・レアーレさんの制服姿でした。
「わあっ!リリー、懐かしい!」
隣の雪組に来たリリーは、笑顔が愛くるしい少女でした。
一緒に研修旅行で九州を訪れました。
一回だけ授業を共に受けたことがありましたが、
せっかく遠くアルゼンチンから留学してくれたのにあまりしゃべらなかったなあ、
と、当時の自分の消極性を改めて残念に思ったり。
でも、のちに、私は母校の教壇に立ち、リリーの妹のシルバーナを留学生として迎え、
さらに数十年後に、リリーとシルバーナが来日、すっかり「お母さん」になったリリーとも懐かしくお話することができました。
あのとき、雪組のクラス会も急遽、生活会館で行われたのでした。
そんな思い出に浸りながら、ふとそのページの他の写真に目をやり、びっくり!
当の私が写っているではありませんか。
前列一番右が、若き日のオオバです。
視聴覚クラブと放送委員会が出場した「第24回NHK杯放送コンテスト」のことが記事になっていたなんて、ちっとも知りませんでした。
その年、視聴覚クラブが制作したテレビ番組「もしもしオーケストラの佐野ですが」が全国3位となった時の記念写真がそこに掲載されていたのでした。
ちょうどこの「そでし」をいただいた日、午前中の面談で、あるオーケストラ部員の生徒に、「昔、佐野さんという敏腕マネージャーがいたのよ」という話をしたところでした。
今は亡き佐野さんが、この「そでし」に私を導いてくれたのかしら。
それとも、今年7月に急逝した部長のきくよさんが・・・?
偶然とはいえ、いただいた同窓会誌2冊の中の1冊に、
私の青春の日々が詰まっていました。
くださった先生にお礼を言ったのは言うまでもありません。
高2の春から夏にかけて、視聴覚クラブのみんなは本当に一生懸命番組作りに燃えました。
オーケストラ部の練習の様子を重いカメラや機材を持って取材し続けた日のこと、
休日登校も多々ありました。
合宿で番組を作り上げた夜の放送室、
私はナレーションを担当、
何度も何度も録り直して、
午前3時までかかってようやく作品が完成したのでした。
入賞を告げられた日、川合良治先生からの大ニュースに
部員皆でびっくりしたのは、確か大会議室の前の廊下…。
東京の全国大会の会場は虎ノ門ホールでした。
宿となった本郷の古い旅館、風情がありました。
皆で後楽園遊園地にも行きましたっけ。
・・・走馬灯のように、16歳の夏の思い出が甦りました。
偶然いただいたこの一冊、1月4日のクラス会や、今年の夏も集う「放送乙女の会」にも持参して、皆で懐かしく読み、笑い合いたいと思います。
暮れの、思いがけない素敵なプレゼント、K先生ありがとうございました。