先ほど、14時46分にサイレンが聞こえました。
校長室で黙とうを捧げました。
東日本大震災は2011年3月11日、西遠ではちょうど音楽コンクールが行われている最中に起こりました。
船酔いのような揺れ、舞台で始まった3年藤組の合唱、ざわつき始めた客席の下級生…。
しばらく(と言ってもほんの数秒でしょうが・・・)何が起きたのか理解できない状況だったことを覚えています。
コンクールはもちろん中断、しばらくの間、生徒たちの動揺を鎮める時間が必要でした。
岡本肇校長先生が、「この講堂は半年前に耐震工事を終えているから大丈夫だよ、よかったねえ」と中学生たちが安心するよう語りかけてくださったことを今でも覚えています。
再びコンクールが始まり、3年藤組は最後に合唱を披露し直すことになりました。
3年雪組が舞台に立った時、余震がありました。
会場は少しざわつきましたが、揺れが収まって数分後、雪組の「木琴」の合唱が始まりました。
「木琴」は金井直という人の詩に曲がつけられた合唱曲で、戦争で亡くなった妹を偲ぶ歌です。
まさか東北にあんな大きな津波が押し寄せてきていることは知る由もなく、しかし、大地が揺れたという何とも言えない心のざわつきを抱えて客席に座っていた私たちには、この曲の迫力が本当にすごくて、詩や曲が心にぐいぐいと迫ってきて、涙が止まりませんでした。
テクニックを超えて魂に響いたこの合唱が、その年の中3の第1位でした。
閉会式が始まったころ、東海道線が全線不通になっているという情報が届きました。
客席の保護者の方々に、お子さんやお友達を一緒に乗せて帰ってくださるようお願いしました、
JRを利用している生徒のご家庭にはお迎えをお願いする連絡をメールで流しました。
終礼を終えた先生方は、皆、南グラウンドや西グラウンドに行き、お迎えの車やご家族の対応にあたりました。
体が芯まで冷えてしまったことを覚えています。
夜8時までかかって、中学生全員がご家族と下校し、私たち教員も帰宅することになりました。
車にエンジンをかけると、車載テレビがあの津波の映像を映し出しました。
そこで初めて、私は、尋常ではない津波の襲来とあまりにも大きな被害とを知ったのでした。
それが私の3月11日です。
震災から9年、今日は一冊の本を紹介します。
「南三陸日記」は、朝日新聞記者の三浦英之さんが書いた本です。
私はこの本を、令和になる直前の4月の終わりに読みました。
以下、その数日後に書いた私の「読書ノオト」(というタイトルで拙い自分の読書記録を備忘録的に綴っています)から感想を紹介します。
平成から令和に代わる10連休。その2日目の日曜に、私は東京へ日帰りすることになった。浜松からすごい混雑の新幹線。こだまの自由席、3列シートの窓側に座り、この本をカバンから出して読み始めた。ツイッターで三浦英之氏をフォローしており、この本の表紙がついた呟きや、読者の感想の呟きをこれまでいくつも読んだ。涙で先が読めない、という感想をたくさん見ていたから覚悟はしていたが、この頃の映画の宣伝のようにこうした感想は大げさかもしれないという猜疑心もあった。だから新幹線で読み始めたのである。が、涙があふれてきて、鼻が詰まってきて、大変なことになった。東京までの約2時間、読み終える時間の余裕はあったが、化粧直しや鼻をかむことの方が大変だった。表紙の写真の女の子の成長にも、最後まで読むと気づかされる。新聞記者として南三陸に住んで取材活動をした彼にしかできない本だった。東日本大震災から8年が経ち、オリンピック中心の世の中になっているが、市井に生きる人々に寄り添う、こうしたルポルタージュの存在がいかに大切かを改めて思う。亡くなった方々の冥福を改めて祈りつつ、今必死に生きている東北の皆さんへの応援と温かい心を忘れてはならない。令和に代わる、その事より大事な現実がここにある。(平成31年4月28日読了)
表紙の女の子のこともぜひ皆さんに知ってほしいです。
集英社文庫から出ていますので、ぜひお読みください。
私が読み終えたこの本は、現在、娘のところに出張していて手元にないため、本の写真は、先ほど、西遠の図書館で撮りました。
今年は、新型コロナウィルス感染症の拡大防止のために、東日本大震災慰霊式も中止されました。
慰霊式典は10年目となる来年で開催を終えるという政府の方針もこの1月に出ています。
しかし、復興はまだ終わっていません。
原発の廃炉作業も先は見えません。
忘れてはいけない事実がたくさんあります。
今日は青空がきれいですね。
ガールマグノリアも開花しました。
桜の花芽もどんどん膨らんでいます。
早く生徒の皆さんに会いたいです。