平和の作文を書く

西遠では、毎年、全区生徒が「平和の作文」を書きます。中学1年生も、高校3年生も、みんなです。どうして、そんな課題が出されるようになったのか? それは、太平洋戦争末期の1945年、4月30日と5月19日の浜松への空襲により、動員学徒として工場で働いていた西遠の生徒29名、引率教員1名が犠牲になったという西遠の悲しい歴史から始まっています。

戦後、学園では、「殉難学徒慰霊式」を毎年5月に行うようになりました。正門を入って最初に目に飛び込む「愛の灯」像は、昭和34年に建立されました。この碑には、当時の岡本富郎校長先生による「動員学徒の霊に捧ぐ」という碑文が刻まれています。

写真の左側から、像の名である「愛の灯」、次が九条武子さんの短歌「君見ずや明日は散りなむ花だにも力の限りひとときは咲く」(学徒の皆さんは朝な夕なこの歌を口ずさんでいました)、そして写真右の黒い大きな部分に「動員学徒の霊に捧ぐ」が刻まれています。

5月に行われる慰霊祭では、毎年、富郎先生が朗々とこの碑文を読み上げられました。現在の慰霊式では録音で 「星霜幾変遷…」という 富郎先生の味わい深いお声が流れ、卒業生にとっては感慨深いひとときです。難しい言葉ではありますが、教え子を失った悲しみが切々と伝わる文章に、毎年胸が締め付けられます。

慰霊式の最後、生徒による「平和の作文」が発表されるようになったのは、昭和50年代でした。それからずっと、「平和の作文」を一人一人が書いて、戦争や平和に対する自身の思いを新たにして、そのうえで殉難学徒慰霊式に臨むという流れが続いています。

昨年の慰霊式で「平和の作文」を発表する生徒たち

今年も、中学2年生以上の生徒が春休みに各学年に示されたテーマに沿って「平和の作文」を書きました。入学したばかりの中学1年生は、上級生より少し遅れて、4月中に作文を書きます。中1に毎年出している課題は「戦争体験者に取材して、分かったこと、考えたことを書く」というものです。この宿題を、今年は断念せざるを得ませんでした。新型コロナウィルス感染の拡大の中で、よそのお宅にご高齢の方を訪ねてお話を伺うということは、かなりのリスクを伴い、先方にもご迷惑をおかけしてしまうと考えたからです。もちろん、同居のご家族にお話が聞けるという生徒には、聞き書きを実践してほしいと思います。それがかなわない大部分の1年生に、今年は西遠の公式サイトの中にある「戦後70年ー西遠の記憶」から一つを読んで、平和について考えたことをまとめるよう、指示をしました。

「戦後70年-西遠の記憶」 https://www.seien.ed.jp/outline/history/postwar/ には、現在6項目10人以上の皆さんの戦争体験が綴られています。長いインタビューもありますが、中学1年生の皆さんにはぜひともじっくり読んでもらいたいと思います。今から75年前にどんなことが浜松で起きていたのか、戦火を潜り抜けた皆様の体験や思いを受け止めましょう。

「戦争は二度と繰り返さない」「平和を守る」ことを若い世代が引き継ぐこと。・・・毎年続く慰霊式、そして毎年全校生徒が書く「平和の作文」には、そうした重く大事な意義があるのです。