皆さんは、劇団たんぽぽをご存じですか? 劇団たんぽぽは、1946年に設立された児童劇団です。浜松を本拠地に、小学校など全国各地を回って子どもたちに演劇を通じて豊かな心を育ててくれるこの劇団。日本中の人がたんぽぽの劇を見たことがあるのではないでしょうか。私自身も小学生の頃、毎年のようにたんぽぽのお芝居を見て育ちました。♪た~んぽぽ た~んぽぽ ♪という歌も一緒に歌いました。私の娘や息子も、たんぽぽのおかげで心豊かに育つことができました。
西遠の演劇教室でも、たんぽぽの皆さんの劇は生徒たちの心を打ちました。
この劇団たんぽぽを創設した小百合葉子さんは、西遠女子学園の大先輩です。1901年に生まれ、児童演劇に生涯を捧げた小百合葉子さん。私生児であるがゆえに将来を悲観して「勉強しても仕方ない」と西遠を退学しようと思った小百合さんは、西遠の創立者岡本巌先生から引き止められ、西遠を卒業したのだというエピソードがあります。
前学園長である岡本富郎先生は、小百合葉子さんのことを、講堂朝会などで私たち生徒に何度も話してくださいました。たんぽぽ劇団のけいこ場も、西遠のすぐ近くにあった時代もありました。西遠とは本当に縁の深い劇団です。
小百合さんが亡くなったのは、1986年1月13日でした。この前年1985年の大晦日、岡本富郎先生がその生涯を閉じました。わずか2週間後に、小百合さんも天国へと旅立たれたのです。富郎先生の学園葬から数日後、西遠の岡本記念講堂で、小百合葉子さんの劇団葬がしめやかに執り行われました。私は当時、学校誌「友情」の顧問を務めていましたので、劇団葬に参列させていただき、講堂2階から取材させていただきました。お二人の追悼号となったのが、この年の2月末に発行された「友情」158号です。
158号の追悼ページを写真でご紹介しましょう。
岡本富郎先生の追悼ページ。
このページの編集は若輩者の私にはあまりにも荷が重くて、今は亡き大橋・溝口両教頭先生に、見出しや割り付け、インタビュー内容、文章表現などずいぶんご相談しました。
そして、これが小百合葉子さんの追悼ページです。1つの号に、お二人の追悼の特集ページが組まれたのでした。温かいピンク色の表紙、美術の斎藤先生が描いたお人形の絵…。158号は私の中でも忘れ得ぬ特別な号です。
さて、皆様、小百合葉子さんが生涯をかけて大きくされ、令和の今も全国各地の子供たちの心を育てている劇団たんぽぽが、今、苦境にあることをご存じでしょうか。
朝日新聞の長谷川智記者の許可をいただき、この新聞記事をご紹介します。
新型コロナウィルスの感染拡大は、各地の様々なイベントの取りやめを余儀なくしました。たんぽぽ劇団の皆さんも、この影響を大きく受けています。実は、西遠も今年度の演劇教室を中止いたしました。本当でしたら、たんぽぽの皆様にお越しいただく予定だったのです。この記事を読んで、本当に心が痛くなりました。コロナが終息したら、生徒たちにたんぽぽの演劇を講堂で見てもらいたいと思っています。劇団たんぽぽという素晴らしい浜松の財産を、いいえ、日本の財産を、このままなくしてしまっては絶対にいけないと強く思います。
「 文化、芸術、スポーツは私たちが生きていくのに、酸素のように必要不可欠なものだ 」と、今日、国会中継でどなたかがおっしゃったのを耳にしました。私も本当にそう思います。劇団たんぽぽの皆さんがこれからも児童演劇を通じて次代を担う子どもたちの心を育ててくれる、そのために私も微力ながら協力したいと思います。これを読んだ皆様も、ぜひご自身のこととしてお考えいただければ幸いです。