5月、2つの連載

今日で5月も終わりです。今月もまたコロナに翻弄された一か月でありました。緊急事態宣言は解除されたものの、北九州市の感染判明者の数値は、これからの日々に緊張感をなくしてはいけないことを知らせています。 明日6月1日から、1・3・5年と2・4・6年の交互の登校が始まります。生徒の皆さんが安全に過ごせるよう、しっかりと感染防止対策を講じてまいります。これをお読みの皆様も、どうぞお気をつけて6月をお迎えください。生徒の皆さんは、ぜひ制限のある中での新しい学園生活を前向きにスタートさせてください。学園レストランも明日から営業再開です。学園にたくさんの笑顔が咲きますように…。

さて、今日のタイトルは「5月、2つの連載」です。今月、私は毎日「日本経済新聞」の「私の履歴書」を毎日楽しみに切り抜いていました。女優 岸恵子さんがその素晴らしい文章力で波乱万丈のご自身の人生を振り返る連載は、今日の第30回で最終回となりました。

若き日の岸恵子さんの戦争体験については、5月6日の当ブログで紹介致しました。高校時代から女優としての道を歩み始めた彼女は、様々な監督や俳優と出会い、自身の演技を磨きながら、ある時フランス人イヴ・シァンピさんと結婚して世間を大いに驚かせます。結婚式は1957年といいますから、60年代生まれの私はほとんど岸恵子さんのことは知らずに過ごしました。「おとうと」という白黒の映画を見たくらいでしょうか。中学時代には、ショーケンこと萩原健一さんと共演した女優さんという認識はありましたが、その映画「約束」はついにまだ見ていません。高校時代、あの山口百恵さんの「赤い疑惑」に出たらしい(私は民放のドラマは中高時代見ていなかった)ことは記憶しています。(おぼろげな記憶だったので、ウィキペディアで調べたら、百恵さんの実の母親役だったんですね。そして、養母役の女優さんが途中交代したんですね。1975年のドラマ。いい加減な記憶で失礼しました。)

70年代に離婚した岸さんは、ようやく私の前にも登場し始めました。山田太一さんのドラマに出た岸さんが印象深いです(こちらも調べたら、83年の「夕暮れて」でした)。彼女は、女優としてだけでなく、エッセイストとしても名をはせ、ジャーナリズムに目覚め、戦時下のイラン訪問なども敢行してしまう行動力…。なんとアグレッシブな生き方!と連載を読みながら感嘆しない日などありませんでした。

もう一つの連載は「朝日新聞」の毎週金曜連載「遠州考」です。5月15日からの「遠州考」は、「劇団たんぽぽの心」と題され、6月5日までの4回連続で、劇団たんぽぽとその創設者小百合葉子さんの歩みを追っています。長谷川智記者、渾身の連載です。

第2回では、小百合葉子さん(本名山下みゑさん)が浜松実科女学校(今の西遠女子学園です!)時代に岡本巌先生から掛けられた言葉が載っています。

小百合葉子さんの人生もまた、波乱万丈です。岸恵子さんの連載が始まった頃、私は、小百合葉子さんについて書かれた3冊の本を西遠の図書館から借りて読んでいました。

「たんぽぽおばさんの旅」望月正子著(小学館)

「たんぽぽの花は野に山に 子どもの夢を運んだ「劇団たんぽぽ」と小百合葉子の40年」浜田けい子著 木村仲久/北原教隆・写真 由谷敏明・絵(くもん出版)

「小百合葉子と『たんぽぽ』」本田節子著(東海大学出版会)

の3冊です。1冊目は絵本、2冊目は小中学生が対象の児童文学、そして、3冊目の本田節子さんの本には、小百合葉子さんの人生が丹念な取材で書かれ、あとがきには彼女の臨終の日のことが記されていました。それぞれ、読者層の違う3冊の本に共通するのは、どの本にも西遠の名と巌先生の名前が出ていることでした。

岸恵子さんと小百合葉子さん、同じ女優として人生の道を歩み始めた二人ですが、活躍した時代も違えば、その生き方や信念の向かう方向も全く違います。けれど、その旺盛な好奇心とたぐいまれな行動力 、ちょっとやそっとじゃ倒れない・諦めない不撓不屈の精神は、この二つの新聞連載から共通して伝わってきたものでした。岸恵子さんの連載が終わり、少し寂しい気もしますが、次の6月5日の朝日新聞を楽しみに待ち、素晴らしい児童劇団『たんぽぽ』を作り育てた小百合葉子さんの生きざまをもう少し読んでみたいと思います。

上に挙げた3冊の本は、長期貸し出しをお願いして手元にありますが、明日、図書館に返却します。どうぞ、この本のバトンを誰か受け取ってくださいね。