本日6月20日、令和2年度の殉難学徒慰霊式が行われました。戦争が終わって75年、4分の3世紀が過ぎたことになります。この節目の年、新型コロナウイルスの影響で、開催が危ぶまれた慰霊式ですが、生徒会の執行部の準備のおかげで、無事、中高に分かれて式を行うことができました。
今年の式は、感染防止に配慮して、マスクを着用した状態で生徒は式に臨みました。座席の間隔も空け、窓も開け放っての式となりました。黙とうの間、鳥のさえずりが聞こえました。歌も1番だけを歌いましたが、万感の思いを込めて、生徒は歌ってくれたように思います。
舞台を飾ってくれた花は、生徒たちがおのおの持ち寄ってくれました。「今年は、おうちに花のある人だけでいいです」という連絡にもかかわらず、たくさんの生徒が花を持参してくれたので、プランター2つに飾る予定が、プランターは最終的に6つに。生徒会執行部にとっては嬉しい誤算でした。
式典は、3時間目が高校、4時間目が中学と分散した形で2回行われました。司会進行は、中高の中央補佐、慰霊の言葉は中高の生徒会長です。
高校生徒会長は、過去や現在に無関心な若者が多い中、自分たちは世界の一員として、世界を見て、年長者の言葉に耳を傾けるべきであるとを訴えました。中学生徒会長は、戦争から生まれるのは悲しみだけだとし、命と平和の尊さを考えていくことを誓いました。厳かな空気の中で、生徒会長の言葉は胸に響きました。
そして、「平和の作文」もまた力作ぞろいでした。
向かいの老夫婦に戦争体験を聞き、今ある幸せについて深く考えた中学1年生。東京大空襲の悲劇を伝えてくれた中学2年生。そして、中学3年生は、「ひめゆりの沖縄戦」を読んで、ひめゆり部隊の女学生たちのたどった道を紹介してくれました。3人とも、平和を希求する強い気持ちがにじみ出る作文朗読でした。
高校1年生は、「被爆を生きて」を読み、「命や人権の認識を高く持ち、考える努力を怠ってはならない」と訴えました。高校2年生は、「なぜ戦争は伝わりやすく、平和は伝わりにくいのか」について深く考えました。高校3年生は「政治に無関心では平和国家は成立しない、私たちの一票は武器よりも強い」と力強く述べました。大人の心に突き刺さるものが多々ありました。
私は、今回、「浜松大空襲 戦争はいらない —私たちの戦争体験―」(編:元城校十九年会)という本を紹介しました。2005年に出版されたこの文集には、6月18日の浜松大空襲を中心に、同級生たちがどんな恐怖を味わい、どんな悲劇に遭遇したかが書かれています。そして、その中には、全部で4名の西遠在学生だった方(1945年には中学2年生でした)が手記を寄せています。表題にもなった赤根様の詩を紹介させていただきました。
「愛の心」という、その詩を朗読したかったのには理由があります。6日・13日の講堂朝会の感想の中に「どうして戦争が起きるのかまだよくわからない」と書いてきた生徒がいました。これから歴史を深く学んでいく生徒たちにはわからないことがたくさんあって当然です。大人にだって、簡単に説明できるものではありません。が、1945年4月30日の爆撃でご家族皆さんを失って一人ぼっちになってしまった赤根様の詩は、そんな生徒たちに、重みを持った一つの答えを提示しているように思われたからです。この本は、西遠の図書館にも入っていますので、ぜひ手に取ってほしいと思います。
今日は、NHK、第一テレビ、テレビ静岡、静岡新聞、中日新聞の方々が取材にいらしてくださいました。戦争の悲惨さを知り、平和を希求する西遠の生徒たちの取り組みが、テレビや新聞を通じて、たくさんの人に伝わることを願います。それが、平和を築く大きな力になっていきますように、心から願います。