今日は土曜日。
総合学習のプログラムがふんだんに組まれています。
高校3年生はお茶とお花の体験日でしたし、
中3から高2はHR展のテーマを絞るクラスプレゼンテーションでした。
さらに、各学年パフォーマンス大会の練習も本格化。
また、高校2年生は進路のコースに分かれての親子PTAに臨みました。
保護者の皆様、雨の中のご参加ありがとうございました。
そんな土曜日の1時間目、
中学生は今年度2回目の「講堂朝会」でした。
今日の講堂朝会では、来週5月16日に行われる「殉難学徒慰霊式」に向けて、
浜松の1945年のことをお話しました。
お話の中で紹介した本は、こちらです。
毎年、西遠の中学1年生は入学したばかりの4月に「戦争体験者のお話を聞き、作文にまとめる」という課題に取り組みます。
今年も、1年生全員が聞き書き作文に取り組み、連休明けまでに提出しました。
慰霊式では学年の代表者がその作文を朗読します。
今日、講堂に集った生徒は、みな、「戦争体験の聞き書き」を経験しています。
そんな皆さんに、今日は「浜松と戦争」について学んでもらいました。
1945年、今から72年前に浜松にはどんなことがあったのでしょうか。
その前年1944年12月7日に、浜松を「東南海地震」が襲いました。
そして、地震の直後、12月12日に浜松は米軍の空襲を初めて受けたのでした。
開けて1945年。
1月3日午後1時過ぎ、お正月にも空襲があったのです。
この空襲で被害に遭った町名を私が読み上げると、中学生は皆、顔を見合わせました。
植松、神立、天神町、名塚、向宿、子安…全部、この西遠のすぐ近くの町名なのです。
1月4日にも空襲警報が鳴り響き、5日も午前0時20分にサイレン、6日、7日、9日、10日…空襲は続きました。
2月には、神久呂から舘山寺にかけての地域が狙われました。
そして、4月30日の空襲。
午前11時ごろ、B29が浜松に飛来、浜松の中心部の軍需工場が狙われました。
河合楽器や鈴木織機に動員学徒として通っていた西遠生11名がこの日亡くなりました。
同じ日、今の浜松商業の生徒や先生も空襲の犠牲となりました。
5月19日にも大きな空襲がありました。
鈴木織機で働いていた18名の西遠生と1名の引率教員が死亡。
そのお一人鈴木さださんの妹である橋本みつさんが2年前にくださったお手紙を、もう一度紹介しました。
そして、浜松には、6月19日に大空襲があり、「全市壊滅」と記録されていること、
7月29日夜中の艦砲射撃は、和合・和地山・泉から佐藤・中島・領家まで広範囲に多大な被害をもたらしたこと、
…1945年に浜松であった出来事を、中学生の皆さんに伝えました。
来週の殉難学徒慰霊式に向けて、中学生の皆さんが戦争について考えを深めてくれたら、と思っています。
中学生の皆さんの「集会記録」も、どんな感想が書かれているのか…提出を待っています。