朝日新聞8月15日に「戦後75年静岡の記憶⑨浜松」として、「犠牲者・復興の街 見守った木」と題して、浜松駅前の「市民の木」プラタナスが紹介されています。そして、その記事の最後に、本校の先輩で学徒動員で亡くなられた鈴木かづ子さんの日記が取り上げられています。→朝日新聞の記事はこちらをご覧ください。
鈴木かづ子さんの日記は、浜松復興記念館に展示されています。ちょうど、今年の殉難学徒慰霊式のことを取り上げた西遠公式ブログ(6月25日)で、海津先生もこの日記のことを紹介しています。海津先生もまた、復興記念館を訪ね、この日記に出会ったのだそうです。 →詳しくは、公式ブログ「殉難学徒慰霊式」をお読みください。
鈴木かづ子さんは、昭和20年4月30日の爆撃で命を落とされました。それは、先日「とびっきり‼静岡」の中で高校生の高井さんがお話を聞いたご曽祖父様の体験とも連なります。
「空襲があった日、曽祖父はいつものように帰っていると原島町の辺りでふだん見かける、西遠の動員学徒の姿がないことにおかしいと感じたと言いました。その日の夜に、西遠の知り合いである鈴木かづ子さんが空襲で亡くなっていたと知り、驚いたそうです。」(高井さんの体験聞き書きの作文より)
4月29日で終わっているかづ子さんの日記。青春の日々が或る日ぷっつりと途切れてしまった非情を思い知らされます。
先日は、毎日新聞でファッションデザイナーの桂由美さんの戦争体験を読みました。東京大空襲の翌日に彼女が見た光景は、マネキンと見まごうようなたくさんの遺体だったそうです。終戦の日、軍国少女だった彼女は、終戦の報を聞き、私も死んでしまいたいと思ったと言います。国に命を捧げることを少女たちも当然と考えていた時代でした。あまりにむごいことです。(毎日新聞記事は有料で全部読めないかもしれません、ごめんなさい)
桂由美さんは、その後、演劇からファッションの世界へと自分の夢をはばたかせ、世界的に有名なブライダルファッションデザイナーになりました。鈴木かづ子さんだって、生きていれば、無限大の夢を現実のものにできたことでしょう。突然断ち切られた未来を想うと、いたたまれません。
8月、戦争についての記事や番組がたくさんあります。録画してある番組も一つ一つ見ていきたいと思います。生徒の皆さんとも、戦争について、平和について、どんな記事を読み、番組を見たのか、話がしたいなあと思っています。