セミの集まる木のことは、昨日書きましたが、
どうもお年頃の生徒たちはセミとか虫とかはあまり好きではないらしく、
掃除の時間にその木を紹介した時も、
「ひぇ、きもちわるー!」
という反応が多かったです。
中には、
「木、揺らしてもいいですか?」
という生徒もいましたが、
セミにオシッコ掛けられるよ、と警告しておきました。
さて、虫嫌いと言えば、でっかいクモ!
あの大きなクモは、この辺だけに生息しているんでしょうか?
山梨県に4年間住んでた間はついぞ見たことがありませんでしたし、
北海道の先輩にそういうクモの存在を告げた時には、「浜松は未開の土地か?」とまで言われたことがありました。
神奈川県の方にも、そんな大きなクモはいない!と断言され、
何なら写メ送りましょうか?とお返事したことも…。
小さい頃からあのクモにはどうしても拒絶反応、というより恐怖反応を起こしていました。
祖母が一番勇敢で、いつもほうきでバシバシ叩いて始末してくれていたのですが、
私が高2の時、祖母は亡くなりましたので、
その後クモが出るたびに我が家はパニックに陥ったのでした。
一度などは、寝ている私の布団の上を歩かれたことがあり、
別に顔の上を直接というわけでもないのに、ワアワア叫んだことを覚えております。
大学を卒業し、懐かしき我が家に戻ってみると、
クモを叩き潰す役は、父が担っておりました。
クモ大嫌いな母、新聞紙を丸めて叩く父。
30年たった今も、その構図は変わりません。
一番変わったことは、私がクモを嫌いではなくなったことです。
生理的に恐怖を抱いていた少女時代と違い、
今はクモに話しかけ、たまに触ることもできるようになりました。
どうしてそう変わることができたのか、自分でもよく分かりませんが、
一つには、クモは益虫であることを理解できるようになって、頭の中の恐怖が感謝(?)に変わったことがあるかと思います。
もう一つは、子育てをするうちに、いろいろな昆虫や小さな生き物に興味を持つようになったことがあります。
毎月保育園で買っていた絵本に虫が登場すると、結構面白いな、と思うようになりました。
もともと、バッタやカマキリは、凛々しくて色もきれいで愛すべき姿だ!と小さい頃から思っていたところもあり、
その思考がクモにまで広がっていったのかもしれません。
まだ、息子が小学生の頃、
私が仕事から帰った時に、
カマキリがフマキラーを噴射されて絶命していた現場(二階への階段でした…)に遭遇したことがあります。
母に「どうして、カマキリ殺しちゃったの?」と詰め寄ると、
「だって、Kもさわれないんだもん!」と、母は、カマキリをさわれなかった息子のせいにしたのでした。
そうです、我が家でカマキリにさわれるのは、私だけ…。
バッタを見つけて「わあ、バッタ!かわいい」と言うと、
「そのバッタがこの葉っぱを食べちゃうんだから、殺しなさい!」と怒る母。
バッタでさえこうですから、我が家で父が不在でクモが出た場合の不毛な会話は想像に難くないと思います。
「キャ――、クモ!殺して!!!」
「駄目だよ、クモは益虫だから」
「私が嫌だから殺してって言ってるの!」
「でも私が嫌だから、外へ逃がす!」
「外に出したって、また入るでしょ!」
・・・・・・・・・
というわけで、我が家に入り込んだ不幸なクモは、寿命長く居座ることはかなり困難かと思われます。
母も「あああ、私はずっとクモがだめなのかしらねえ」と言ってますが、
どうしたら私のように変わることができるのかは、私にもわかりません。
でも、虫の形って、それはそれは美しいと思いませんか??
理事長先生には共感されたんですけれど…。