昨日、画家の安野光雅さんの訃報を知り、何とも言えず寂しく悲しい気持ちになりました。安野さんについては、今までこのブログでも何度も紹介しましたが、私の大好きな絵本画家のお一人です。きっと、安野さんのことを知らなくても、その絵に触れたことのある人はとても多いことでしょう。朝日新聞の「評伝」にも、「これほど多くの日本人の目を楽しませた画家はいない」と書かれています。
1926年生まれの安野さん。故郷は島根県の津和野です。森鴎外と同郷で、アンデルセンをこよなく愛し、「ふしぎなえ」「ABCの本」「旅の絵本」などの絵本を出版したほか、たくさんの本の表紙を描きました。司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の挿絵を描いたり、平家物語を描いたり、皇居の四季の花々を描いたり、94年の人生で実にたくさんの絵を人々にプレゼントしました。
前述の朝日新聞「評伝」には、「精緻にも洒脱にも描ける。しかも品があって風景や花の絵は叙情的」とあります。こういう「評伝」をまとめる方は実に的を射た表現をするなあ‥‥と大西若人さん(朝日編集委員)の文章に感服しながら、安野さんの人生を新聞の数段の記事の中に確認したのでした。クリスマスイブに亡くなるなんて、アンデルセンに傾倒していたからかしら、などを想いながら…。
津和野には「安野光雅美術館」があります。どうしてもそこを訪ねたくて、2007年に母との二人旅で2泊3日の山口・島根の旅に出かけました。山口まで新幹線で行き、湯田温泉に一泊(中原中也の記念館を訪ねました)、SLに乗って津和野に向かい(なんとSLに乗った日は鉄道記念日!山口大学の皆さんが明治の服装に身を包んで列車内を回るイベントに出会いました)、津和野にも一泊(まず森鴎外の記念館に行きました)し、満を持して旅の最終日に訪ねたのが、津和野駅にほど近いところにある津和野町立「安野光雅記念館」でした。開館時間を待って入館し、気づけば3時間以上滞在していました。「旅の絵本イギリス編」の世界を堪能しました。プラネタリウムや教室もあって、もっと長時間この空間を満喫したいという気持ちにさせる美術館でした。
思えば、この時の旅は、一日一人の文学者を訪ねる贅沢な旅でした。カバンには、中也詩集と鴎外の「ヰタ・セクスアリス」、そして安野さんと藤原正彦さんの対談集の3冊を忍ばせて。3冊は往復の山陽新幹線の中で読み切りました。藤原正彦さんが安野さんの教え子(安野さんは、戦後、教員をしていた時期がありました)だったことにびっくりしたことを覚えています。
あの3日間の旅以外にも、安野さんの絵が見られると聞いて、静岡、豊橋、東京と美術館やデパートで行われる「安野光雅展」に出かけたものでした。東京で見た皇居の植物の絵が本当に抒情的で素敵でした、もう一回見たいなあと思います。
素晴らしい絵は、その作者の死後何百年たっても、人々の心に愛を与えます。安野光雅さんの絵はこれからもたくさんの人々の心を慰め、和ませ、あたたかく包むことでしょう。私も折に触れ、「旅の絵本」を開いて、安野さんの絵に癒されたいと思います。
安野光雅さんの絵本は、西遠の図書館の絵本コーナーにもたくさんあります。テスト後の放課後、ぜひ絵本を開いてみてください。また、叙情的な本の表紙の絵を見たら、そっと「表紙の画家」の表記を探してみてください。安野さんかもしれません。
【追記】2月14日に「日曜美術館」で安野光雅さんをしのぶアンコール放送がありました。「旅の絵本」日本編の制作現場を取材したもので、本放送の時に見たのですが、安野さんに画面越しにお会いするのが嬉しくて、もう一回見ました。色付けの作業をする安野さんの筆のタッチ、黄緑色に塗られていく日本の四季の世界が素敵でした。2月21日夜Eテレで再放送がありますので、よろしければ、ご覧ください。