昨日のブログでご紹介いたしました「高女34回梅の会」の皆様。
2時間ほどのお時間をいただき、お一人お一人の戦争体験をうかがいました。
昭和20年4月30日、牧野様、小島様、長谷川様の3人は河合織機(今の河合楽器)の工場で空襲に遭いました。
当時、同期の皆さんは河合織機と遠州機械の2つの工場に分かれて動員学徒として作業にあたっていたそうです。
昨日お目にかかった中で、鈴木さんだけが遠州機械(旧可美村)に通っていたのでした。
河合織機では、4月30日の爆撃で、6名の西遠生が亡くなっています。
当時、西遠の生徒は4つの工場に分かれて作業にあたっていたそうで、
3名の皆さんはそれぞれ違う体験をしていらっしゃいました。
逃げるのもバラバラだったそうで、まさにお一人お一人が大変な思いをされて生き延びたことが分かりました。
昨年お話を伺いホームページで紹介させていただいた吉田様(同じ高女34回卒)も、
「一人で逃げたから、ほかの方のことは本当に分からなかった」
とおっしゃっていたことを思い出しました。
皆さんの空襲の体験は、いずれホームページに掲載したいと思いますので、少しお待ちください。
さて、4名の皆さんお一人お一人に4月30日の出来事をうかがった後、
当時の西遠の授業や先生のことにも話題が及びました。
青春時代の思い出を語る皆様は、生き生きとしていらっしゃいました。
「今はお作法の授業はありますか?」
とご質問をいただき、
「入寮で行っているので、科目としては設けていません」
とお答えすると、
「私たちの頃は、週4時間のお作法の授業がありましたよ」
と教えてくださいました。
お辞儀の仕方はもちろん、コーヒーのいただき方も習ったのだそうです。
戦時中にコーヒーのいただき方を教えていたなんて、初めて知ってビックリいたしました。
コーヒーのスプーンは「ゆ」の字で回すように教わったそうです。
皆様、そんなモダンな教えを受けていらしたから、今でもこうしてコーヒーをお飲みなんですね。
素敵な大先輩の皆様です。
興味深かったのは、先代学園長の岡本富郎先生のお話が出た時のことです。
当時は、毎週月曜日に、講堂朝会があり、富郎先生のお話を聞いたのだそうですが、
「お話の内容はすぐにノートにまとめなくちゃいけなかったのよね」
「そうそう、提出したものね」
と皆様。
集会記録を書いて出すという西遠の「学習」は、
こんなに長い歴史を持つのですね。
ここでも大先輩の皆様、こうおっしゃっていました。
「何でもメモする姿勢が身についたわよね」
「今もメモを取るのは好きよ。」
書くことの効能は、大先輩も実感されているところなのですね。
さて、今回、4名の皆様への取材が実現できたのは、
8月15日の朝日新聞の記事にさかのぼります。→8月15日のブログへ。
この日の記事をお読みくださった高校第15回卒の内藤様からお電話をいただき、語り部として牧野和子様をご推薦いただいたのです。
内藤様も、牧野様から戦争体験を聴かせていただいたとのこと。
ぜひ私もうかがいたい、と牧野様にご連絡させていただいたところ、
牧野様が同期の梅の会のお話をしてくださり、お友達を集めてくださったのでした。
西遠の縦のつながり、そして横のつながりの堅固なことを改めて感じました。
そして、皆様の平和を願うお気持ちの強さにも感銘を受けました。
牧野様はじめ「梅の会」の皆様、そしてきっかけをくださった内藤様に、心から御礼申し上げます。