考える生徒たち —講堂朝会、感想より―

4月17日の全校講堂朝会の生徒の感想を、連休になってようやく読んでいます。皆さん、遅くなってごめんなさい。今回、なんとデジタルで「集会記録」が届いています。2・3・4年と5年の一部の皆さんからはグーグルクラスルームを通じて感想が届きました。まだ不慣れな1年生とBYODのためにスマホなどだと感想を書きにくい上級生には紙媒体で提出してもらいました。

紙には紙の「手書き」の良さがあります。デジタルで届く記録はコメント入力が簡単だという利点もありますが、まだこちらも不慣れなので一部の生徒(あと5名!)の感想を見ることができないでいます。ICTスキルをしっかりつけなくては。

さて、今回の講堂朝会では、「役員認証式を受けて」と「校歌について」のお話をしました。 集会記録には、その両方の感想が綴られています。

今日は西遠の「校歌」についてその誕生秘話を知った生徒の率直な感想をお届けします。(ってことは、この「考える生徒たち」はシリーズ化しますね!)

校歌の誕生の歴史を知って

校歌の作詞・作曲については何も知らなかったのでいい話を聞けました。まず最初に驚いたのは、作詞家が岡本富郎先生の親友であることです。親友や富郎先生も含め詩人、小説家、先生と本当に才能があった方たちなんだと思いました。作詞の裏には学生時代の寮歌のように口ずさめるような感じが必要ということはもとから決まっていました。そして何より富郎先生と浜松に訪れたとき夜の天竜川を見てなんの詩を読むかを決め素晴らしい友情のもとその詩が詠まれたと思うと、感慨深いものがありました。寮歌のように口ずさめる校歌というのは、母が今でも校歌を覚えているので、校歌には珍しく短調であることも関わっているのではないかと思いました。校歌の作曲をした作曲家の美和さんもそういう理由のもと短調にしたと思うと、短調にする発想がすごいと思いました。また、私が小学校在学中のときの校長先生だった美和校長先生が、西遠の校歌の作曲家と関わりがあったなんてびっくりしました。(中学2年)

入学前、初めて校歌を聞いてとても驚きました。校歌らしくない短調だったからです。正直、意味を知るまで短調は暗くあまり盛り上がらないなという気持ちがありました。ですが、歌の意味を知った時、ふるえるような感動がありました。短調にはしっかり意味があり、その意味というのは、まとめてしまえば、「私たちを救えるような歌を作りたい」という岡本富郎先生の意志でした。校歌にこんなにも深い意味があったこと、またその歌が戦争を越えてもなお歌い継がれているということに、驚きと感動で胸がいっぱいでした。そんな歴史のある校歌は、私たちの普段の生活の背中を押すようなものだと思います。歴史ある校歌を歌えることを誇りに思う気持ちを大切にしたいです。(中学1年)

校歌のここが好き

校歌を初めて聞いたときは、中学までの元気な校歌のイメージとは全く違って不思議に感じたけれど、今は、私は少し周りの学校とは違った感じのする校歌がとても好きです。落ち着いているような上品なイメージと力強さを感じられるところが、すごく素敵だと思います。 (高校2年)

私が校歌の中で一番印象に残っているのは「忘るるなかれ若き日を」というフレーズです。西遠で過ごした中での、友達と夢中になって話した休み時間や、先生に叱られてしまったこと、同級生や先輩・後輩と共に部活で素敵な作品を作り上げたこと、パフォーマンス大会や体育大会、学園祭でクラスメイトと協力したこと、そしてこれから1年間の受験勉強。卒業式で在学中最後の校歌を歌うとき、6年間の思いで全部が、楽しかったな、充実した学園生活だったなと振り返りながら「忘るるなかれ若き日を」を歌えるように、西遠生としての最後の1年を、目標に向かって頑張りたいと思いました。私も、富郎先生のように、自分を支えてくれる大切な友達と、この西遠で出会うことができたんじゃないかなと嬉しく思いました。(高校3年)

青春の道場「西遠」で実感していること

今日のお話で心に残ったことは、岡本富郎先生と安部忠三さんとの友情が長く続いていたことです。お二人は高校を卒業して違う道を進んでもずっと仲が良く、大学を卒業した後も忠三さんが富郎先生のお宅に数日泊まりに来ていたというお話を聞いてとても素敵な友情だと思いました。前の還暦の先生方のお話で、校長先生が「西遠で作った友達は一生物」とおっしゃっていたことを思い出しました。私は西遠の中学校生活で個性豊かな仲間と出会い、とても充実した3年間を送り、何でも相談できて互いに協力し合える本当に素敵な友達をたくさん作ることができました。中学を修了するときに「この子達とは高校を卒業したあとも、年をとっておばあちゃんになってもずっと友達でいれる」そう思いました。そんな級友とあと3年間青春の道場で1000日の修行を共にし、もっと友情を深められると思うと楽しみで仕方ありません。これからの高校生活で級友達とたくさんの思い出を作り、高校卒業後も西遠での思い出を語り、富郎先生と忠三さんのような友情を築いていきたいし、級友と会ったら「校歌懐かしいね」と言い、歌い合えたらいいなと思います。(高校1年)

私にとって西遠とは、私が生きてきた時間の中で一番思い出が詰まった大切な場所です。女子校ならではの生活や、西遠の行事、西遠で出来た大切な友達、大切な事を教えてくださった先生方など全てが詰まった場所です。私が思っていた以上に時間の流れは早く西遠にいられるのも残り2年も無くなってしまいました。嫌なことや、悲しいこと、頑張ったこと、笑ったこと、楽しかったことなど大学に行ったら記憶が薄くなりそうで怖いです。しかし、岡本富郎先生が校歌に込めた思いを忘れずに、青春に戻りたくなったり寂しくなったりした時に校歌を歌いたいと思いました。またいつか高校の友達と集まり校歌を歌って懐かしかった思い出などを話したりしたいです。もし私に子供ができたら私の母のように「この歌はねお母さんの大切な友達との思い出を歌った学校の校歌なんだよ!」とお話ししたいです。(高校2年)

「忘るるなかれ若き日を」に込められた思い

いつか、校歌を歌う事で学園での青春の日々を思い出すんだろうなと思うと、やはり校歌は大切な存在なんだと思います。西遠を卒業して皆それぞれ違う大学に行ったり違う進路を進んだりして、どうしてもバラバラになってしまいます。しかし同窓会などで再会する時に校歌を歌えば、自然と学園での思い出が蘇るのだろうなと思います。再会している時以外でも、校歌を口ずさんだら色々な思い出が蘇るのだろうと思います。 今日のお話を聞いて校歌の歴史を知り、「忘るるなかれ 若き日を」という言葉の美しさに感動しました。 安倍忠三さんが歌詞の中に入れた「忘るるなかれ 若き日を」という言葉は、親友との青春の日々をずっと忘れないでいたい、というとても素直な言葉だと思います。4年間学園生活を送ってきて、この言葉の意味が年々よく分かっていくのを実感します。学年が上がるにつれて大切な思い出たちを忘れたくないという気持ちも大きくなっていきます。卒業式に校歌を歌う時には「忘るるなかれ 若き日を」を大切に歌いたいと思いました。 その時にはきっと、6年間の楽しかった思い出や辛かった思い出、友達と笑い合ったり泣いたりした思い出など、全ての青春の日々の思い出達が蘇るんだろうなと思います。これからもこの校歌を大切に歌いたいと思いました。 (高校2年)

高校3年生の胸中

6年生になって、今の友人たちと一緒の学校で過ごせる時間が迫ってきていて、あと少しで青春が終わってしまう…と少し寂しくなっています。岡本富郎先生が青春時代を共に過ごした親友に作詞してもらい、それが岡本先生の学校の校歌になり、青春真っ只中の少女たちが歌い継ぐ、という形になっているのが、本当に素敵だなと思います。そんな思いの詰まった校歌を今まであまり考えることもなく歌っていたのが、少しショックです。私たちもこの効果を、また西遠の仲間が集ったときや一人の時にでも口ずさんで、様々な青春の思い出に浸りたいです。改めて校歌の意味やそこに詰まった思いを知ることができ、とても良い機会になりました。(高校3年)

講堂朝会で校歌のお話をしたのは、2015年の12月以来でした。つまり、全校の生徒が初めて聞いた誕生秘話でした。高3の生徒にはもっと早く伝えるべきだった、と反省しています。岡本富郎先生の願いを知って、これからの校歌斉唱では、深い思いを込めて歌ってもらえたら、と思います。校歌への思い、次回も少し紹介します。

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今日は憲法記念日。日本国憲法の前文を暗記したのは14歳の頃のことでした。格調高い語彙の数々に感動し、そこに込められた崇高な理念に背筋が伸びたのを覚えています。憲法記念日にちなんで、親子で読める憲法関連の本を一冊ご紹介します。

楾(はんどう)大樹著「檻の中のライオン」(かもがわ出版)(写真ありません、ごめんなさい)

この本、イラストやページのデザインが優れていて、とても読みやすい本です。ライオンは権力を表し、檻(おり)は憲法を表しています。中学校向け副教材にもなっている本ですので、ぜひ皆さんでお読みください。