昨日の「殉難学徒慰霊式」について、今日もお話したいと思います。
高校の慰霊式で話したこと
高校生に向けて、私はまず、 企画運営をした生徒会の力に感謝の意を述べました。 コロナ禍の中で昨年は6月に延期せざるを得なかった慰霊式を、今年はこうして5月に挙行することができたのです。平和への熱い思いを持ってこの慰霊式を継承してくれた生徒会の決意と行動に、私は心から感謝しています。
先週8日(土)の高校講堂朝会で、既に「戦争と平和」について高校生には訓話を行なっていました。その折、1945年の1月から8月の終戦までの間に、浜松にたくさんの空襲や艦砲射撃があったことも紹介しました。高校の慰霊式で、私は、8日の講堂朝会で紹介した3冊の本の中の「浜一中51回卒業生の学徒動員」という文集から、宮竹の工場に動員学徒として通っていた浜一中生の日記の6月18日の項を読み上げました。1945年6月18日、「全市壊滅」と言われた浜松大空襲の日の日記です。
今朝、俺の家も、ついに焼けてしまった。(中略)午後二時ごろになって、宮竹に出かけた。高町の半僧坊のところまで来ると、浜松の街が全部見え、煙が一面に立ち込め、松菱と田町のビルがかすんで見えた。アスファルトは熱でべたべたになって、歩くことはできない。新川の橋のところで熱くて息ができないほどになった。歩道のトタンの上には焼け死んだ人が何十人も並べてある。‥‥
「浜一中51回卒業生の学徒動員」 鈴木幹氏の「宮竹日記」より
父の同級生である鈴木さんの日記には、浜松大空襲の後、焼け野原になった浜松中心部の生々しい惨状が書かれていました。この続きには、並べられた死体の描写が続きます。家が焼け、死体が並んでいて、吐き気に襲われながらも、動員先の工場へ向かおうとする少年の使命感。西遠の先輩方だけにとどまらず、戦時中の10代はそんな状況に置かれていたのです。
戦争の辛く酷い体験は、終戦で決してリセットされるものではありません。悲惨な現実を知り、二度と繰り返さないように考え行動すること、平和のために努力することを、高校生の皆さんに訴えました。
中学の慰霊式で話したこと
中学生には、1944年12月の地震から、1945年8月までの空襲と艦砲射撃の記録を読み上げました。1945年1月3日、正月三が日にも、容赦なくB29が飛来したのです。1月4日も、5日も、6日も…。2月には舘山寺方面に向けて、飛行場目掛けた爆撃がありました。4月30日、5月19日の爆撃で動員学徒として工場に働きに行っていた西遠の先輩方が亡くなりました。6月18日には100機ものB29が焼夷弾を落とし、7月29日には艦砲射撃があり、8月1日にも空襲がありました。私は、被害を受けた町名を読み上げました。中学生にもなじみ深い地名が次々に出てきました。76年前の出来事が、中学生にもリアルに迫ってきたようでした。
毎年慰霊式で斉唱する「愛の灯」の歌にも触れました。
身を尽し 身を尽し
散り行きし二十九のみたま
今かへる今かへる袖師が森に
歌声は悲し千羽のつる
再びはかへらぬ君のみ胸に
我等捧げて歌ふ「愛の灯」
「愛の灯 −動員学徒に捧げる歌−」 池谷 千松 作詞/新美 博義 作曲
私は、作曲者である新美博義先生(本校の音楽科教員でした)から、この歌が生まれた時のお話を直にうかがっています。新美先生のお父様は、戦争中、浜松駅前の防空壕で亡くなられたそうです。戦後、殉難学徒を慰霊する歌「愛の灯」の作曲を依頼された先生は、その責任の重さになかなかメロディが浮かばず、悩んでいました。ある日、バスで浜松駅についた新美先生、そこでふっと「再びはかへらぬ君のみ胸に」の部分のメロディが出てきたのだそうです。お父様が亡くなられた場所で出会えたメロディーは、先生にも意外なことに、短調ではなく、長調でした。お父様がこのメロディに出会わせてくれたのだと思う、と新美先生は生前語っていらっしゃいました。この歌が生まれた時のエピソードも心に刻んで、この後「愛の灯」を歌ってほしい‥‥壇上から、中学生の皆さんに依頼したことです。
「小さな赤いトマト」を見て思うこと
2年に一度、この慰霊式の中で上映される番組「明日への証言 小さな赤いトマト」は、戦後50年を少し過ぎた頃に放送されたものです。
番組の中では、浜松に落とされた爆弾の多さ、米軍には浜松は爆弾のゴミ捨て場だと言われていたことなどが紹介されます。そして、西遠の生徒の中には、動員学徒で命を落とした先輩だけでなく、空襲で亡くなった方がいることも紹介され、そのご遺族(お兄様)に生徒たちが会いに行く場面が流れます。
番組に登場する生徒たちは、当時の高校生徒会執行部のメンバーで、私もよく知る教え子たちです。この番組から20余年、セーラー服で登場した彼女たちは、もうお母さんになっている世代です。彼女たちもまた、わが子に戦争の酷さを伝え、平和への熱い思いを語っているのだと思います。親から子へ、子から孫へ、平和を希求する心が受け継がれていきます。
番組のタイトル「小さな赤いトマト」は、防空壕の中で亡くなった西遠生がお兄さんと食べようと井戸に冷やしておいた2つのトマトを指しています。このトマトを発見したご遺族の方々はどんなに悲しみ、涙を流したことでしょう。家族のささやかな幸せを無残に断ち切ってしまう戦争。その理不尽さは、生徒の心に深く刻まれたことでしょう。
NHKニュースで紹介された慰霊式
今年も殉難学徒慰霊式がNHKのニュースで放送されました。生徒たちのこの式に賭ける思いが、たくさんの方々の心に届いてくれたら嬉しいです。「ニュース見ました!」と、今日は西遠レストランの皆さんからも声を掛けていただきました。友人や卒業生からも「ニュース見ました」とメールをもらいました。「愛の灯」を一緒に歌った(覚えていて歌うことができた!)という報告もありました。「愛の灯」の歌は、卒業後何年たっても、しっかりと卒業生の胸に刻まれているんですね。卒業生には、この式典が今も行われていることが、とても感慨深いことなのだと思います。
慰霊式から1日たって、校長室には、舞台を飾ったお花がおすそ分けされ、白い薔薇やトルコ桔梗が飾られています。花を見ると心が和みます。自然と笑みがこぼれます。花の持つ力もまた、平和につながるものだと改めて感じています。