5月19日に76年前を想う

5月19日、今日、西遠では5月定期テストが行われています。76年前のこの日、西遠の先輩方の身の上に何が起きたのかを、今日は振り返ってみたいと思います。

殉難学徒のご遺族のお手紙から

これは、学徒動員として工場で働いていたお姉様をこの日の空襲で亡くされた故 橋本みつ様のお手紙の一部です。このお手紙は、6年前の慰霊式で、大庭が代読させていただきました。

5月19日、あの日の朝は、曇りで黒い雲が空を覆っていました。私の姉は、いつもと同じ通学の支度をして「行って参ります」と言って、家を出ようとしたときの事、母は決まって口癖でしたが、「大丈夫かい?気をつけにゃーいかんよ。」すると、いつも姉から出る言葉は「私たちは天皇陛下様の為よ。お国の為なんだから、おっかちゃん心配しないでいいよ。いつも言っているでしょう。」という会話でした。
しかし、その日の昼ごろ、まさかの知らせがありました。
鈴木織機の工場の裏地に大きな防空壕があり、そのすぐ隣りに市内を通っていた水道の本管がありました。それは人の身丈程もある太さの管でした。米軍機が空を飛んでくれば、まず警戒警報の放送、人々は当然防空壕に避難しました。その米軍機が落とした爆弾は24名と引率教員1名が避難した壕の横にある水道の本管に落ちたのです。
一瞬にして、本管の水はあふれ出て、隣の防空壕に流れ込み、盛り土で頑丈に囲われていた壕が崩れ落ち、24名と引率の教員一名等は、泥水に埋まってしまったのです。
防空壕の近くを通った人の話によると、空襲警報最中で近づけなかったそうですが、壕の中から聞こえて来た声は、「お母さん、お母さん、助けてー。」と苦しい中での絞り出すような叫び声だったそうです。

警報が解除された時は、すでに声もなく、皆さんは息絶えていたそうです。後で知ったのですが、死亡時刻は、午前11時30分頃だったとの事です。

私の家にも、学校から知らせが入りました。最初は、まだ生徒たちが行方不明との事でしたが、間もなく発見され、全員亡くなったという悲しい知らせでした。当時、私の家の兄は2人とも戦地に行っていましたので、男手は父だけでした。
姉を迎えに行く為に、近所の人たちが、リヤカーにむしろをしいて布団を積んで、自宅を歩いて出たのですが、国道の松並木は倒れ、あちこちの道路には穴が開き、通常の往来は出来ず、なかなか前には進めなくて、何倍もの時間がかかり、大変難儀したとの事です。
リアカーが自宅に帰って来たのは、その日の夕方くらいの遅い時刻と記憶しています。遺体は棺の中に納められて丸裸でした。
姉は眠った様な優しい顔でした。長く伸ばした髪の毛の中には、小石交じりの土が沢山ありました。泥水に浸かっていた体は膨らんでいました。セーラー服の脇の下から袖にかけて全部ハサミで切られて脱がされ体の横に置かれていました。
姉の棺は仏間に安置されましたが、体中汚れていたので、母と私たちは「さあちゃん、どんなに苦しかったでしょうね。」と泣きながら、なんどもなんども、優しく汚れを拭い取りました。リアカーの片隅には、自分で作った布製の肩掛けのかばんがあり、中にはお弁当箱が入っていました。姉の好きなグリーンピースのご飯です。ご飯の真ん中に梅干しが一つのったお弁当は、手つかずでした。その日は、お昼ご飯を食べる事もなく、戦渦に皆さんは散ってしまったのです。

2015年7月 お姉さまをはじめとする殉難学徒の方々に向け、慰霊の念を込めてハーモニカを拭く橋本みつ様。とてもお元気でいらしたみつ様が急逝されたのは、それからわずか2年後のことでした。

76年後、私たちはどう生きるべきか

今年5月11日に行われた殉難学徒慰霊式を前に、私は高校講堂朝会(5月8日)に、高校生に向けて「戦争を平和」についてお話しました。今、生徒の皆さんの集会記録を読ませてもらっています。

今日は、その中の一人の感想を紹介します。

◎講堂朝会の中で、昨日の中日新聞に西遠の殉難学徒慰霊式についての記事が載ったことを聞いた時に嬉しかったです。自分の通っている学校が新聞に載っていることが嬉しい、というのが一番最初に思ったことですが、校長先生の話のお話を聞き、 その殉難学徒慰霊式という記事を見て、 少しでも多くの人にとって平和や戦争のことについて改めてもう一度考える機会になるのかもしれない、という嬉しさも同時にあります。今は、自分の通っている学校でそういうことについての行事や課題が多くあるので、定期的に真剣に改めて考える機会がしっかりあるのですが、西遠を卒業した後、戦争によってどのような大きな被害もたらされたのか、何もしないと思い出したりすることを忘れてしまいそうで不安です。学校を卒業した後も、新聞に戦争や平和についての掲載があったらそれを真剣に読み込んだり、今日は原爆が投下された日だ、など意識したりすることで、戦争と平和について考える機会が定期的にあるようにしておきたいです。西遠でせっかく平和や戦争について考える機会が多くあるので、今はその機会一つ一つを大事にしていくことが、自分にとって重要なんじゃないかな、と思いました。(高校2年生)

今から76年前に何が起きたのかを心にとどめ、風化させずに語り継いでいくこと、私たちの今の生活のどこかに「平和」「戦争」について考える時間を必ず取っておくこと、‥・少なくともそうした姿勢を西遠の卒業生の皆様、そして現役の生徒の皆さんに、心からお願いしたいと思います。

5月19日、もうすぐ午前11時です。76年前の悲劇をどうか心にとどめてください。そして、今、まさにガザ地区で戦闘状態が続いている事実にも、目を向けてください。ここでも、子どもたちが命を奪われています。

※橋本みつ様のお手紙の全文はこちらからお読みいただけます。