昨日は体育大会・パフォーマンス大会についての全校放送をし、今日は授業アンケート実施に先立っての全校放送をしました。2日続けて放送室通いです。
昔々、放送委員だった私には、この部屋は特別な場所です。たくさんの先輩や、優しくて頑固で温かい顧問の先生、そして、明るくて賑やかで個性豊かな同期、そしてかわいい後輩の放送委員と過ごした1年半の月日が、いろいろと思い出されるからです。視聴覚クラブの番組編集でも、この放送室には缶詰め状態になって、合宿の日は夜中まで作業したものでした。高校2年の後期から、放送委員を辞し、生徒会室に引っ越してしまった自分には、他の同期よりも短い年月ではありましたが、ここにあるのは、まぎれもなく、「青春」の日々です。
今、私はこの調整卓の前で、全校に向けた放送をしています。昔は、前のガラスの向こうの「金魚鉢」が定位置で、調整卓の前には、キューを出す同期がいました。でっかいキューの大胆ジェスチャーの子や、手首を返すだけの小さなキューを出す子もいたなあ、とガラスを見ながら思い出します。キューを出されるときの緊張感が大好きでした。
さて、放送委員会は、コンテストに出たりした昔の「部活」っぽい委員会ではなく、今は粛々と日々の当番を務めている堅実な役員活動になっています。でも、昨日、何とも頼もしい掲示物を、調整卓の左上の壁に発見しました。
初めてこの放送室に勤務する中学1年生の放送委員に、放送室の機械の操作の仕方を手書きで説明しているプリントです。なんてあったかい、なんてかわいい掲示物でしょう。手書きのぬくもりと下級生への愛を感じました。
委員会の活動内容は変わっても、こうして上下級生の交流は続いているのだと思うと、おばさん放送委員はとっても嬉しくなってしまったのでした。