中学生が思う「戦争」と「平和」 その2

6月10日にこのブログで「中学生が思う『戦争』と『平和』」と題して、5月29日の講堂朝会への感想を紹介しました。第2弾として、中学1年生の感想をご紹介したいと思います。第1弾から約1か月が経過しましたが、今週末の全校講堂朝会でも「平和」「戦争」について触れたいと思いますので、それを前にして、フレッシュな中学1年生の「想い」をご紹介します。

くるみボタンの誕生秘話を知って

私が今回、一番心に残ったのは制服のデザインのことです。以前、小学校の友人に会った時に、「なんで公立の中学校にはスカーフがあるのに、西遠はないの?」と聞かれたことがありました。私は、いとこもこの制服を着て毎日学校に通っているので、特に気にしたことはなかったけれど、友人の言葉で疑問が生まれました。私はいとこに聞くことにしました。その結果「知らない」という返事が返ってきました。6年間通っていても知らないのなら、私も知らないまま卒業するんだと思って心の奥にその疑問はしまってありました。でも、今年、しかも1年生で知ることになるなんて思ってもみませんでした。スカーフがなくなりボタンになったのは、戦時中高価なものは身に付けてはいけなかったからという理由があり、さらにそれをボタンに変えるという女子校ならではの考えがさすがだなと思いました。この話を校長先生から直接聞いて、今私が身にまとっている制服には、平和な世の中が一生続くようにという願いが込められているように感じました。この長い歴史を持つ西遠女子学園と共に、他の学校とは少し違う可愛らしい制服を守っていきたいです。

西遠のくるみボタンが私は大好きです。母や周りの人から西遠の制服は昔から変わらないと聞いていて、今年初めて西遠の制服を着た時は、泣けそうなぐらい嬉しかったです。このような制服を、戦時中の先輩方が来ていたかと思うと、戦争の頃を考えるきっかけにもなります。だから、これからも、西遠の制服はずっとくるみボタンであってほしいです。

私は、他の学校の制服はスカーフなのに、どうして西遠の制服はくるみボタンなのだろうと、入学前からずっと不思議に思っていました。ですが、その胸のボタンにとても個性と魅力を感じていました。実際、憧れの制服に身を包んだ時は大変嬉しかったです。その胸のボタンには、とても大切な歴史と思いが込められているものだと知り、感動しました。西遠は、戦前はスカーフの時代があったとのことですが、戦争になり、スカーフはぜいたく品とされたことと資源不足により、代わりにくるみボタンになったこと。その歴史を忘れないことと、平和への願いを込めて現在まで残されてきているということ。こんな大切な思いが込められた制服を身につけていることに、身が引き締まる思いと、歴史・伝統の1ページに私も刻まれていることの重みと嬉しさに胸が熱くなりました。制服は「かわいい」とか「流行」だとかではなく、それを超えた学校の歴史・伝統・想いをずっと守り抜くことで、制服の意味や魅力が出てくるものだと感じました。今まで、漠然とあこがれだった制服ですが、意味を知ったことにより、より一層愛着が湧き、誇りを持って着ていきたいと思うようになりました。

戦争体験を聞いて

小学生の頃、戦争のことは勉強しましたが、あまり詳しくは知りませんでした。だから「慰霊式」と聞いたときもどんなことをするのかよく分からず、まさか自分の書いた平和の作文が代表として選ばれるなんて思ってもみませんでした。緊張はしましたが、とても良い経験になりました。話を聞かせてくれた祖父母に感謝の気持ちでいっぱいです。これからも、平和について真剣に考え、二度と戦争をしないために、次の時代へと伝え続けていきたいです。

入学して2ヶ月ですが、西遠に入学できて良かったと心から思っています。特に、今月、先生が話して下さったように、平和・戦争について考える機会を多くいただけたので、他の学校では体験できないような大切な時間を過ごすことができたからです。そのおかげで、私は普段だったら聞くことのできない人から戦争のお話を聞くことができましたし、「ひめゆりの沖縄戦」を読むきっかけにもなりました。 私は母の友人の祖母から戦争の頃のお話を聞き、平和の作文を書きました。私は小さい頃から曽祖父から戦争の話を聞いていましたが、一昨年亡くなってしまい、聞く人がいなくて困っていました。だんだん直接お話を聞くのが難しくなってきているのだと思い、胸が痛かったです。そんな時に聞かせてもらえた貴重なお話は、小さい頃聞いた話とは違い、女性目線だったため、新しく学ぶことができました。その他にも、西遠の図書館に「ひめゆりの沖縄戦」があると知り、国語の授業で借りることができ、この5月だけでも、今までより戦争に関しての知識が深まったと思います。そして、先生がお話しくださった中で、特に心に残ったのは、記録し、振り返り、語り継ぐことの大切さです。きっと、私が大人になるころには、戦争を体験した方に直接お話を聞くことはほとんどできないと思います。だからこそ、今日私が聞いたような話をきちんと記録し、振り返り、戦争の話を直接聞けなくなった世代に対して、私が代わりに語り継いでいかねばと改めて感じました。西遠での平和教育を通し、平和の大切さがちゃんとわかる立派な大人になりたいです。

 1年生は、戦争体験を聞く学びに始まり、5月に初めての慰霊式への参列、講堂朝会で制服のくるみボタンの話を聞き、6月、国語の授業では戦争についてインターネットで調べ学習もしました。その一つ一つを吸収し、成長している中学1年生の姿は、可愛らしくもたくましくもあります。

今日、戦時中に医師として働いていた卒業生の新聞記事を西遠に郵送してくださった方がいらっしゃいました。98歳になる上林直子さんは、76年前の6月20日、静岡大空襲時に当直の女医として必死に被災者の治療にあたられたということです(中日新聞「必死の治療 76年前も」)。この大先輩の記事をぜひ、全校生徒に知らせたいと思います。

沖縄の慰霊の日、生徒たちと同世代の少女が今年も平和の詩を力強く朗読したことも、90代の卒業生が76年前に空襲の最中に体験したことも、西遠の生徒たちにしっかりと届けていきたいと思います。平和について考えること、戦争についてその歴史を知ること、…その意義と重要性を、西遠生はきっとわかっているはずです。