訃報

【訃報】
数学科教員として長く西遠の教壇に立たれ、女子教育に邁進された溝口昭二先生が、去る3月1日ご逝去されました。
91歳でした。
告別式は、明日3月4日(日)の午後行われます。

昭和62年の卒業アルバムより

溝口先生は、昭和2年生まれ。
昭和22年に西遠に数学教員として就任し、中学部長、教務部長、高校部長などを歴任、昭和58年からは教頭職を務められました。
昭和61年に定年退職後も、非常勤講師として長く勤められ、本当にたくさんの生徒の指導にあたられました。
生徒ばかりでなく、先生方にも厳しくも温かいご指導をくださいました。
中学部長の時には、中学部の先生方の先頭に立って、教育の向上のための研修を推し進められたとのこと、後輩教員の私たちにも伝説のように語り継がれており、今なお先生方の規範となっています。
昭和45年の卒業アルバム

先述の昭和62年のアルバムには、学園の創立80周年の式典で表彰を受ける先生のお写真がありました。

学園のすぐお近くにお住まいがあり、退職後も散歩コースで西遠の周囲を回っておられ、よくお声を掛けていただきました。
いつも西遠のことを気にかけてくださり、「おい、がんばってるか?」というお声が今も耳に残っています。
本当にご生涯を西遠女子学園のために尽くしてくださった先生です。
ご生前の書き切れないほどのご功績を悼み、心よりご冥福をお祈り致します。

私は、生徒の頃、溝口先生に大変重要なことを教わりました。
中学3年生の秋、市の弁論大会に学校代表として出場することとなり、溝口先生に原稿の書き方から、話す速度、間の取り方、視線の動かし方まで、毎日毎日、熱心に教えていただきました。
それが今の私に繋がっていることは、言うまでもありません。
舞台に立って、誰かに何かを訴えるということ。
そのイロハを私は溝口先生に教えていただいたのでした。
高2の11月、祖母が亡くなった時、お通夜にお越しくださった溝口先生に、あとで叱られたことがあります。
先生を見つけてにこにこ笑ってしまった私に、後日、「大庭、ああいう場で歯を出して笑っちゃいかんぞ」と。
今もほろ苦く覚えている、先生の教えです。
昨日、先生の訃報を受けて、一日寂しい思いで過ごしました。
ちょうど創立記念式の日に亡くなられたこともあり、
西遠の暦と先生の人生、一緒になっていらっしゃるなあ・・・とも感じました。

溝口先生、どうぞこれからも私たちを見守ってください。
先生の教えを、そのバトンを、しっかりと受け取って、歩んでまいりたいと思います。