浜松は今日も夏空の下、セミがにぎやかに鳴いています。今日は、広島原爆の日です。
昨年に続いてコロナ禍の中で迎えた「広島原爆の日」。今朝、8:15には家族とともに黙とうを捧げました。目を閉じると、窓の外からセミたちの合唱が聞こえてきました。じりじりとした暑さの中で、76年前、広島では地獄絵のような光景があったことを想いました。
広島市長の「平和宣言」では、若い世代への付託とも言える言葉が印象に残りました。NHKでは、原爆投下の8:15の前に、被爆3世の24歳の女性の平和活動を取り上げていましたので、彼女の姿勢と呼応するような感を覚えました。そして、核兵器廃絶に向けて努力することの大切さ、一人一人の力が世界を動かすのだという力強い言葉も心に響きました。「世界の為政者」に対する「一人一人の力」の大切さを嚙み締めました。
二人の小学生による「平和への誓い」では、「使命」という言葉が心に残りました。二人は広島に生まれ育った子どもとして、平和を伝えていく、原爆の悲惨さを後世に伝えていくことを「使命」だと受け止めています。小さなその肩に重い「使命」を乗せて、彼らは育っていくのかと思うと、子どもたちだけに背負わせていくわけにはいかない、大人の世代がもっともっと「使命」を感じなくてはならないと思いました。「別れは、忘れること」という言葉も心にぐさりと来ました。
けれども、誓いの言葉を述べる二人の小学生に悲愴感はありません。むしろ、広島に育ちゆく新しい世代としての誇りを感じました。それは、殉難学徒慰霊式で西遠生が「西遠に入ったからこそ私たちは平和の大切さを発信していくのだ」と誓う慰霊の言葉にも通じました。若い世代の力強い平和への誓いに、大人は応えねばなりません。
子ども達の誓いの言葉に続く首相挨拶、途中、突然テロップと違う文に飛んでしまったので、びっくりしました。唯一の被爆国としての立場を述べるくだりの読み飛ばしは大変残念です…。
今朝、一首の短歌が紹介されていました。谷村はるかさんという歌人の『ドームの骨の隙間の空に』という歌集の中の一首です。
いっそまったく違う街になってしまえば 何度も何度も咲く夾竹桃 谷村はるか
広島の街に原爆が投下され、これから75年間木も草も生えないといわれた中で、夾竹桃が真っ先に咲いたのだそうです。作者は、新聞記者だったということなので、きっと広島に勤務したのでしょう。その地で取材を進める中で、広島市の市花「夾竹桃(キョウチクトウ)」のいわれを聞いたのではないでしょうか。
夾竹桃は強い花です。毒も強いのだそうです。夏の花の中で、元気すぎる夾竹桃は、私はあまり好きではありませんでしたが、広島にとっては再生の花だったのだと知りました。広島の人々は、何度も何度も夾竹桃の咲く夏を迎えながら、ずっと痛みや苦しみを抱えて生きてきたのですね。この短歌を知り、夾竹桃という花へのまなざしが変わりました。 『ドームの骨の隙間の空に』 も早速注文しました。
今日から、シネマイーラで「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」が上映されます。蔓延防止の区域になるであろう浜松市、コロナ禍でまた映画館が近くて遠いところになってしまいましたが、いつか必ずみんなで見たい映画です。