図書館入り口の「小さな白板(ホワイトボード)」、第21週です。オンライン授業期間が終わり、対面による授業が再開しました。登校再開初日の白板からどうぞ。
9月13日(月) 寄るよりも離れるがよく集うより散るがよろしき世を生きなおす 佐伯裕子
コロナウイルスの蔓延の中で、感染防止のための新しい日常が始まっています。寄るよりも離れることを、集うのではなく散ることを、より良いとする世の中になりました。今までの生活様式や価値観がひっくり返される中で、「生きなおす」と書いた佐伯さんの短歌に、嘆くのではなく前を向き、未練なく歩む強さを感じました。
9月14日(火)
この星の片隅でめぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりもたいせつな宝物 竹内まりや
「いのちの歌」は昨年の紅白でも披露されましたね。心にしみる歌でした。もともとは、朝ドラ「だんだん」の劇中歌だった歌です。作曲の村松崇継さんは浜松市出身の音楽家。名曲は、様々な形で歌い継がれ、その時々に人の心を打ち、慰めるものです。その歌の中から、一節を紹介しました。
9月15日(水) 梨を向けば梨のひかりが桃を剥けば桃のかをりが二人を包む 荻原裕幸
たまたま、ツイッターで歌人の荻原裕幸さんが、この短歌とおいしそうな梨と桃の写真を載せていらしたので、思わず書き留めたオオバでした。荻原さんのつぶやきをそのまま引用させていただきますと、「 桃はものすごくおいしいんだけど、剥くのがちょっとめんどうだよね、と通販してまでおいしい桃を探す家人が言う。はいはい、私が剥かせていただきます。一緒に梨も剥きましょうかね。写真は、福島のさくら白桃と愛知の豊水。甘っ! 」…ご夫婦の素敵な関係がツイッターからあふれていました。お二人の仲よさそうな姿が想像されると共に、確かに「桃」は「かをり」だけれど、「梨のひかり」って梨のみずみずしさを言い当てていて素敵だなあと思った次第。ちなみに、梨というと、私は幸水が好きです。味覚の秋。
9月16日(木)
内藤正典先生は同志社大学大学院の教授です。2016年、内藤先生は、西遠にて「イスラム教徒を知っていますか?ー世界を平和にしていくために」という演題でご講演くださいました(この日のブログはこちらをご覧ください)。イスラム世界にお詳しい先生が、アメリカ軍撤退とタリバンのカブール制圧による首都の混乱というアフガニスタン情勢について、ご自身の考えを呟かれました。白板の大きさの関係で途中を略してしまいましたが、140字の全文はこうなっています。
若い方々に伝えたい。今回のアフガニスタンは典型的にそうだが、一つの出来事を見る時、どちらの側から見るかによって、見え方は180度変わる。日本ではアメリカの側から見た報道しかない。正反対はタリバンだが、それを支持する民衆の声は全く伝わっていない。物事、声の大きい人が正しいとは限らない。
内藤正典さんの9月3日のツイート
アフガニスタンの情勢はとても複雑なのだと思います。女性への迫害はあってはならないと強く思います。しかし、「声の大きい人が正しいとは限らない」という内藤先生の言葉は重い…。イスラム世界を研究している内藤先生だからこその視点に、本当の「地球市民」になるためにはもっと学ばなくてはならないことがたくさんあるし、複数の視点を持って考えなくてはいけないのだと思いました。
9月17日(金)
秋は喨喨(りょうりょう)と空に鳴り/空は水色、鳥が飛び/魂いななき/清浄の水こころに流れ/こころ眼をあけ/童子となる 高村光太郎
満を持して、かな。わが愛する高村光太郎を、初めてこのホワイトボードで紹介しました。彼の最初の詩集「道程」の中にある長い詩「秋の祈」の冒頭部分です。長くてとても全編そらんじられませんが、秋になると、秋空を見渡し、この部分が頭の中で再生されるのです。喨喨とは、「明るく澄んで鳴り響く」という意味。光太郎の詩は「冬」がよく知られていますが、この秋の詩も隠れた名詩です。
9月19日(日)
「ありのままの自分を受け入れることができれば、どんな悪口もあなたを傷つけることができないし、どんな称賛もあなたを思い上がらせることができません。」 マザーテレサ
高校オープンスクールで図書館を見学してくださる中学生とそのご家族の皆さんに、今日は、このマザー・テレサの言葉を紹介しました。「女性の生き方を考える作文」で、マザー・テレサを調べ、その生き方についてまとめた生徒も多いのではないでしょうか。インドで貧しい人々のためにその生涯を捧げたマザー・テレサは、 1997年9月5日に亡くなりました。無私無欲の人でした。
本日、オープンスクールにお越しくださった皆様、ありがとうございました。図書館に目を輝かせていた人もいて、嬉しかったです。人生の中の3年間を「女子だけ」という環境でのびのび過ごしてみませんか? ありのままの自分を見つめられる時間が西遠にはあります。