今日は、全校朝礼の日。少し寒かったですが、100周年記念グラウンドに集った生徒たち(高3は家庭学習期間なので、中1から高2までの5学年です)に、私から、2つのお話をしました。1つは、制服の着こなしのこと。もう1つは、知識・教養のことです。
教養を話題にしたのには、理由がありました。高校3年生の集会記録の中に、こんな文章があったからです。
私は最近教養の大切さを強く感じます。何かを読むとき、人と話すとき、知識があればあるだけおもしろいですし、人生がより豊かになります。私は小説を読むことが好きです。最近知識がより小説をおもしろくしたこととして、イデア界をたとえに出した文章がありました。私は今年倫理の勉強を始めて、イデアについて何度も本や動画で学んでいたので、たとえに対する解像度が上がり、すんなりと思い浮かべて読むことができました。また、過去に読んだ小説が理解を助けてくれることもありました。私は原田マハさんの「サロメ」を過去に読んだのですが、最近読んだ江戸川乱歩の「虫」の中で、サロメに関する話が出てきて「あっ!」と思い、楽しくなりました。映像がはっきり思い浮かびました。そんなことから、知識は人生を豊かにするのだと思いました。
2021年12月11日の講堂朝会「読書から人権を考える」の感想を書いた高校3年生の集会記録より
彼女は、自分の新しく出会った文章や新たな読書の際に、過去に読んだ本や学習内容が助けとなって、「解像度が上がった」「映像が思い浮かんだ」と書いています。知識が増えることの楽しさ、知識を活用して深く理解できることの嬉しさが、彼女の文章表現からも感じられました。
そこで、今日の全校朝礼で、彼女の感想を紹介し、「知識を得ることに楽しさを感じてほしい。教養のある人生を」と呼びかけたのでした。知的好奇心を持つことが、人生の彩りを豊かにします。西遠での6年間を過ごした先輩の言葉は、きっと下級生たちにも説得力をもつことでしょう。
知らなかった人が何かを知った時、そこには驚きや喜びがあることでしょう。知ったことを誰かに話せたら、そして共感してもらえたら、さらに嬉しさも募るでしょう。もっと知りたくなって何かを調べたり、誰かと一緒に探究することができたら、世界はどんどん広がります。
逆に、知ったこと・分かったことに感動がなかったら、世界は広がらないでしょう。知的好奇心を持たず、享楽的にその場の笑いや気持ちよさだけ求めていると、人は堕落する一方で、成長できないのだと思います。
授業をしている教壇から、講堂や校庭で話す壇上から、生徒の皆さんの表情が良く見えます。私の話に、「それ、知ってる!」「分かった!すごい!」と豊かな表情を見せてくれる生徒が必ずいて、そうした生徒の存在は教師にはとても嬉しいものです。話してよかった!と思います。
今日も、「鶸」という字について、校庭で私が説明した時、実際に手のひらに指で書いて確かめている生徒がいました。そのリアクションこそが知的好奇心だと思います。鶸が分からない人は、昨日(1月18日)のブログを見て読み方を確かめてくださいね。
知識を増やし、教養ある人間へと成長してほしいと心から思います。その扉は、すでに毎日の授業にもたくさんあるし、新聞やテレビ、本やネットの世界にもあります。どの扉を開けて、知識を増やし、教養を得ていくか、一人一人の姿勢にかかっているのです。
豊かな人生を送るために、知識と教養を。