今日は大寒です。日本の暦の二十四節の最後を飾る「大寒」。一年で最も寒い時期を言います。でも、次は「立春」、春はもうすぐそこです。
今日は娘の誕生日です。三十数年前のこの日、私は母になりました。
今日は日付の変わったころに娘に「お誕生日おめでとう」とメッセージを送ったら、「その節は!お誕生させていただきまして!ありがとう」と愉快な返信がありました。コロナ禍でなかなか会えない今、こんな他愛もないやりとりのできることが、ささやかな幸せです。
考えてみれば、娘が西遠生だった6年間は、親子げんかもありましたし、反抗期もありましたが、同じ学校に通うことができ、とても濃密な日々でした。入学したての頃には心もとない歩き方、自信なさそうな表情だった娘が、いつの間にか入寮の指導生なども務められるようになり、友情編集ではてきぱきと下級生に指示を出すようになっていました。西遠でこんなに育ててもらったんだなあ…といまさらながら6年間の成長を感慨深く思い返しています。
母親学級の「理事長・校長講演会」の最後と、今年の成人式の挨拶で、同じ短歌をお母様方に紹介しました。
平凡がつづく日常の幸ひは
娘のゐること娘と居ること
松尾さくら
朝日歌壇2021年11月28日掲載
私は、朝日新聞の歌壇でこの歌に出会ったとき、不意に涙がこみ上げてきて、慌てました。コロナ禍で失われた「平凡」。東京と浜松なんて大した距離じゃないと思っていたのに、コロナは東京浜松間をとてもとても遠いところに変えてしまっていました。2年も会えなかったこともあり、この歌に出会って、娘がいる、娘と居られるって、とても素晴らしいことなんだって、松尾さんが私の気持ちまで歌ってくださったのかと思いました。
12月の母親学級の講演会と1月の成人式でこの短歌をマイクを通して紹介した時、実は2度とも泣きそうになって、ちょっと声が上ずってしまったのでした。あとで、母親学級生の方から「あの歌は泣けました」とご感想をいただき、私だけじゃなかったな…とちょっぴり安堵しました。女子校の皆様だからこそ、共感していただける思いなのでしょう。
今、娘さんと居られる方も、卒業して娘さんが遠くにいらっしゃる方も、コロナ禍に翻弄される今だからこそ、平凡な日々のありがたみやささやかな幸せというものを噛み締めていらっしゃるのではないでしょうか。
当の娘は仕事の忙しさの中でそんな母親の感慨に付き合っていられないかもしれません(そのくらい充実しているのなら、それも幸せなことではあります)が、今は、心配なく頻繁に会える日々が早く来ることを願うばかりです。
…娘の誕生日、ちょっとセンチメンタルなブログになってしまいました。
最後に、息子の居ることも幸せであることを書き添えておきます!