29年という歳月

昨日は、日航ジャンボ機墜落事故から29年というニュースが報じられていました。
私にとっても1985年の8月12日は、
夜7時のニュースの中で飛び込んできた「ジャンボ機の機影がレーダーから消えた」という第一報からずっとテレビにくぎ付けだった日でした。
あんな大きな飛行機がどこかに行ってしまうってどういうことなのか、どこに不時着(墜落の可能性も含めて)分からないってどういうことなのか、
意味も分からず、状況もつかめずにいました。
あの夜、記者会見を放送しようとしたNHKのニュースで、キャスターが『乗客名簿の読み上げを先に!』と指示したことが忘れられません。
今、一番何を視聴者が知りたいのか、放送の現場で問われた一瞬だったと記憶しています。
夜が明けてようやく墜落現場が特定され、現場の恐ろしい映像が飛び込んでくるまでの長い時間。
もどかしく、底知れぬ恐怖を感じたものでした。
520名もの命が犠牲になってしまった事故の原因究明や、
「恐怖の30分間」と言われる時間の中で乗客たちが家族に残したメッセージ…、
毎日、新聞を読み続け、何度も涙しました。
あれから29年です。
この間、小説「沈まぬ太陽」が発表され、「クライマーズハイ」がドラマ化され、
企業・報道・遺族のそれぞれの立場を垣間見ることができました。
無理だろうと言われていた「沈まぬ太陽」の映画化も実現し、録画して深夜に一人重い気持ちで視聴したことも忘れられません。
遺族の方々が出している文集「おすたか」も100号を越えたそうです。
空の安全はもとより、企業のあり方・報道の在り方なども含め、
29年たったといえども、風化させてはならない事故であり、
そこから学ぶべきことが、今もたくさんあると、私も思います。
日付が変わって、13日。
テレビでは、御巣鷹山よりも、お盆の渋滞のニュースばかりです。
せめて私は忘れないようにしよう、と思いを込めて、
ブログに書かせていただきました。