高校卒業式のこと

3月5日の高校卒業式から約10日。学校というところは、淡々といつものように日々が進みます。年度末の3月は、他の月より進み具合も早いように思えます。けれど、どこかに大きな穴がぽっかり空いたような、そんな思いも否めません。送る側っていつもそうです。

今日は、3月5日の卒業式のことを少し書きたいと思います。

卒業証書授与の時、目を合わせてくれる卒業生が多くて、とても嬉しかったです。あのたった数秒が、永遠の時間にも感じるのです。担任の先生が生徒の名前を読み上げ、本人が私の前に進み出る数秒の間に、一人一人の学園生活のひとコマを思い出しては、「いつもあなたの挨拶に元気をもらってたよ」「学園祭よく頑張ったね」「部活すごかったよ」「けがは大丈夫?」「大きくなったね!」等、心の中で声を掛けていました。卒業生もマスクはつけているけれど、私の「おめでとう」の声かけに対し、にっこり笑ってくれる瞳もたくさん見つけられましたし、「ありがとうございます」と返事してくれる生徒もいて、講堂のステージ上には、すごくあたたかい時間が確実に流れていました。私にとってとても幸せな時間です。

卒業証書を手にした皆さんに、私は、岡本富郎先生の親友の安部忠三さんが校歌「我らの母校」の詩を作ったことを踏まえ、巣立ってからも、いつか、一緒に仕事ができる、助け合っていける、そんな関係になってくれたら素晴らしい、とお話ししました。一人一人もそれぞれに自分の未来を拓いていくけれど、西遠の仲間が一緒になって地域や社会の未来を拓くことを実現できたら、本当に素晴らしいと思います。

また、ロシアのウクライナへの侵攻という、世界が一変したこの状況の中で、西遠で学んだこと・得たことを基盤にして、平和の大切さや多様性の尊重を訴えていってほしいということもお願いしました。

さらに、夏目漱石の「私の個人主義」、丸山真男の「『である』ことと『する』こと」から、彼らの考え方についてお話ししました。そして、判断に迷うようなときには、先人の書物を読むと、答えに出会えることが多々あるということもお話ししました。

これらの話をきっと真剣に聞いてくれたであろう卒業生の皆さん、ありがとう。卒業後に、折に触れて思い出してくれたら嬉しいです。

卒業生代表の答辞では、忘れられない言葉に出会いました。

私は入学時の自分に対し、「この先にはとても充実した宝物のような二千日が待っている」と言ってあげたいです。

青春の道場で2000日の修行を終えた皆さんが、6年前の自分自身にそんな言葉をかけたい、と言ってくれたことは、私たち送り出す側の人間にとって、キラキラ輝く何よりのプレゼントでした。卒業生一人一人が本当によく努力し、充実させた年月だったのだと思います。校歌の2番「忘るるなかれ若き日を」の「若き日」は、宝物の日々であったのですね。

さらに、代表生の口から「本当なら今ごろは」ってみんな言う本当なんてどこにもないのに という短歌が出てくるなんて思いもよりませんでした。あの瞬間、上田結香さんのこの歌を一昨年皆さんに紹介した自分自身が誰より一番ドキッとしたのだろうと思います。この短歌に触発されるように、このコロナ禍で、「現実を受け入れ、柔軟に対応する力の大切さを知った」と、前向きに生きるその決意を述べた卒業生代表の力強い思いを、私は演台をはさんで、確かに受け取りました。本当に頼もしい卒業生たちでした。

式のあと、そうっと手紙をくれた生徒も何人かいました。公立中学から入学した生徒の手紙には、「西遠に入って、勉強することはカッコ悪くなんかないんだ、と知りました」とありました。また、「正門で、花や鳥の話をするのがとても楽しかったです」と朝の会話を振り返ってくれる生徒もいました。6年を西遠で過ごす生徒が多い中で、公立中学出身の生徒からこうした感想をもらえたことも、私には大きな喜びでした。西遠に来てくれてありがとう、と心から言いたいです。

卒業生の皆さん、卒業式から10日程たったけれど、元気にしていますか? 皆さんの活躍を私たちはいつも応援しています。大きく翼を広げて、新しいステージへと旅立ってくださいね。母校は母港。皆さんが疲れた時、困った時には、西遠は、皆さんの港になって待っています。