本日5月7日1時間目は、高校の講堂朝会でした。5月の講堂朝会では、「校歌」の4番を歌います。
四. をとめ子の こころ明るし ながるるや
五月の風の さはやかに
青葉ぞわたる 丘の上に
歌へよろこべ ほがらかに
さつきのかぜのさわやかに、と歌う季節が今年もめぐってきました。西遠には、この緑の季節を全身で感じられるような木々があり、そこにさえずる小鳥の声も届いてきます。「学園」と呼ぶにふさわしい環境の西遠で、心を豊かに育んでほしいというのが、今日の講堂朝会での私の第一の訴えでした。
5月は、西遠にとって「殉難学徒慰霊式」を行い、平和について深く考える季節でもあります。今日の講堂朝会では、「愛の灯」像を建立した岡本富郎先生の思いを、生徒の皆さんに伝えることにしました。
朗読したのは、岡本富郎先生がご自身の文章を一冊にまとめた「黄金の鋲」という本です。創立70周年の記念誌と共に、その時の在校生全員に配られました。その本の中から、最初に「国難に殉ぜし生徒 亡き動員学徒を偲びて」の部分を読みました。ここには、殉難学徒への富郎先生の思いがあふれています。どうして慰霊像に「愛の灯」という名をつけたのかにも触れていらっしゃいます。いつも、慰霊式の中で富郎先生の肉声のテープで聞く「愛の灯像の碑文」も、この文章の終わりに掲載されていました。慰霊式を来週に控えた生徒の皆さんには、心に響く部分があったのではないでしょうか。
富郎先生の文章は、情熱的で、愛にあふれていました。今日、この「黄金の鋲」から紹介したのは、動員学徒の件(くだり)だけではありません。
「新緑はそれがどんなに美しくとも、いつまでも新緑であっては意味はない。自然は、春に伸び、夏に茂り、秋に実り、冬に蓄える。 こうした平凡な繰り返しの中に、すべては成長する。新緑がただ美しいというだけなら、それは瞬間の美であって、やがて去り行く寂しさを味わうだけである。私たちの長い人生も、瞬間瞬間の連続だ。いいかえれば、永遠という時の流れにつながる瞬間だ。今日という時も、やがて消えてゆく瞬間だ。しかし、その今日を、時の永遠の流れの中でとらえ、静かに考えると、それは単なる瞬間でなく、過去幾千年の昨日を背負い、未来幾万年の明日に連なる今日という瞬間だ。そう考えると「今日に生きる」という言葉が、ただ観念的でなく、ひしひしとその尊さが痛感される。
岡本富郎著「黄金の鋲」より 随筆「今日に生きる」
教育は決して「人間幸福の自動販売機」ではない。授業料を納めるだけで、人間の幸福が買えるものでもない。教育は虚栄の化粧でもなければ、社会生活の特権でもない。それは自分をより良い人間に育てる方法であり、手段である。中身のない卒業証書は一片の紙クズであり、学歴は単なるレッテルに過ぎない。
岡本富郎著「黄金の鋲」より 随筆「人間の幸福は自動販売機では買えない」
これらの富郎先生からの言葉が、中高一貫校で先輩としてふるまう高校生たちの心に、きっと刺さると信じて、私はいくつかの文章を紹介しました。今日のお話が、皆さんの心を少しでも動かしますように。そして、そんな皆さんの感想を、楽しみに待っています。