殉難学徒慰霊式から1週間がたちました。今日5月19日は、77年前、浜松への大きな空襲があり、動員学徒の皆さんが亡くなられた命日でもあります。今、この5月19日を意識している人が浜松でどれほどいるのだろう、と思うと、戦争のことを風化させない努力を、意識して続けていかなくてはいけない、と焦りに似た気持ちになります。
5月7日の高校講堂朝会では、間近に迫った殉難学徒慰霊式を取り上げ、大学で戦争の話をすると、みんな戦争のことをよく知らないことにショックを受ける西遠の卒業生が多いということを話しました。西遠の慰霊式や平和の作文は、彼女たちに深浅の差はあれど「戦争」「平和」の知識をつけることに繋がっています。同世代の戦争の知識の無さに驚く卒業生の話を聞くたび、西遠の平和教育はしっかりと続けなくてはいけないと強く思うのです。
- 西遠では平和の作文を書くことや慰霊式があることなど、戦争と平和について考える機会が設けられているので、今起こっているロシアによるウクライナへの侵攻だけに関わらず、コロナウイルスの感染拡大、環境問題など、世界の平和とはかけ離れた状況にいる今、これからもっと考えていかなければならないという危機感を感じました。(高校1年)
- 私達は日頃から戦争という悲惨な過去に向き合い、平和についてやこれから私達が何をすべきなのかを考えて日々学園生活を送っているため、そういったことは当たり前なのだと思っていましたが、私達の学校が行っていることは他の学校では中々深く学ぶことのない、貴重な体験なのだと思い、とてもありがたいことなのだと思いました。でも、こういった取り組みをしていない学校の人達が戦争について何も知らないとなると、校長先生もおっしゃったようにかなりまずいのではないかなと思います。私達が戦争について語り継がなければならない、そうしないと現在のロシアとウクライナのようなことに、日本もなってしまうのではないかととても不安になります。過去の悲惨な戦争があったからこそ、それを二度と繰り返すまいという人々の願いから今の戦争のない日本があるはずなのに、月日が立つとともに段々と戦争の記憶が失われていき、また人間たちは同じことを繰り返してしまうのかと思うと悲しくなります。私はかつての人々の思いを受け継いでいく事こそが、人間のしていくべき本当の使命なのだと思っています。だから私は戦争について語り継いでいこうと思います。(高校2年)
講堂朝会の感想には、生徒たちの切なる思いがつづられていました。こうした気持ちを持っている若者が本校にたくさんいることを、嬉しく、誇らしく思います。私が抱いている焦りに似た思いを共有できる若い世代がいるのですから。
昨年1月に亡くなられた半藤一利さん。自らを「歴史探偵」と名乗り、日本の近代史を検証した半藤一利さんは、亡くなる少し前にこんなことを書いています。
いまの日本では、日本がアメリカと3年8カ月にわたる大戦争をしたことを知らない人がいっぱいいる。かなりの大人のなかにも「それで どっちが勝ったの?」とわたくしに尋ねる人さえいるのです。
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あいた口がふさがらないとは、まさにこのこと。情けなくなります。 戦争は真に悲惨なものでした。 わたくし自身は、空襲の猛火と黒煙に追われて川に落ち危うく溺死寸前という九死に一生の体験をしています。
昭和20年(1945)3月10日の、一夜にして10万人もの人が亡くなったいわゆる東京大空襲の被害者の生き残りの一人なのです。
半藤一利「非人間的な戦争下においてわずかに発せられた人間的ないい言葉」より
半藤一利さんも、先日亡くなられた早乙女勝元さんも、初代林家三平さんの妻である海老名香代子さんも、みんな東京大空襲の中を生き延びた方々です。つらい戦争体験を語ってくださる先人たちに対し、戦争を知らない世代はそれをどう受け継ぐべきなのか。大きくて、重い課題が私たちの目の前にあります。避けて通れない課題です。
今年の殉難学徒慰霊式で、高校生徒会長は、「私達の平和宣言」として、5つのことがらを宣言しました。高校生に今一度噛み締めてほしいのはもちろん、中学生の皆さんや保護者の皆様、そして広くこのブログをお読みの皆様にも紹介したい思いで、ここに掲載します。
私たちの平和宣言
一.これからも心を込めて、殉難学徒慰霊式を継続します。
一.あふれる情報を正しく選択できるよう日々勉学に励みます。
一.他人を尊重し、相手の思いを受け入れる心を育てます。
一.一瞬一瞬の出来事を対ア切にして、毎日を過ごします。
一.より良い人生とは何か、最高の人生とするために何ができるかを
真剣に考えます。
「戦争を知らない世代」の平和への決意と実践を、私もまた見守り、同じように真剣に行動したいと思います。