8月最後の土曜の本日、我が家では、叔父に依頼されて、「叔父の幼少時代の写真を探すプロジェクト(大げさ!)」を実施しました。6月に亡くなった父の若い頃の写真、1977年に亡くなった祖母がまとめていた家族のアルバム、西遠を卒業した伯母たちの姿など、古いアルバムにいろんな白黒写真があり、感慨深い時間となりました。父の葬儀前には見つけられなかった写真がいっぱい出てきて、もっと落ち着いてあの時探せばよかったねなんて母と話しながらの作業でした。
さて、私の伯母・叔母は皆西遠出身です。アルバムの中に「西遠」の字があると、どうしてもオオバは反応してしまいます。西遠高女の頃の興味深い写真が出てきました。
鉄棒の女学生と校舎。ブルマ時代ですね。そして、右は、まだくるみボタンになる前の制服です。昭和17年と書かれたページでした。この年には、創立者の岡本巌先生が亡くなっています。その葬儀の写真も数枚出てきました。生徒たちがそれぞれ大事にアルバムに貼っていたのでしょう。
そして、老校長胸像も写っていました。
お掃除の格好も今とあまり変わらないですね。伝統の西遠お掃除スタイルです。
授業の様子でしょうか。教室の一枚もありました。
さて、歴史は急に昭和50年代に飛びます。オオバ自身の高校時代の写真とも久々に再会しました。高校3年秋の遠足(体育祭のない年は高3秋に遠足があったのです!)の写真です。忘れもしない秋葉山!頂上にたどり着いた者だけで撮った記念写真です。中央に片腕を挙げる富郎先生。この日、体力がなく、とても登れないと思ったオオバは数名の友人と共に途中で下山しようとしていたのですが、小倉先生に追い立てられて何とか頂上に到達。みんなもうお昼ご飯を食べていました。でも、たどり着けたおかげてこの写真に入ることができました。思い出の一枚です。
あとは、高校2年でNHK杯全国高校放送コンテストの朗読部門に出た時、たぶん県大会での写真(放送委員会顧問の川合先生撮影)と、教員になって2年目の写真(音楽の三上先生撮影)をどうぞ。若い頃のオオバです。
放送コンテストでは、山本周五郎の「日本婦道記」の一節を読みました。自分で原稿用紙に本文を書き写し、厚紙に貼って、カバーとしてど派手なスヌーピーの包装紙を張り付けて舞台に持参。左写真の私が手に持っているのがそれです。白黒写真なので、縦じまの模様しか分かりませんが、紅白模様でした。後輩から「大庭先輩、原稿が一人だけ派手です」と笑われていました(笑)。このド派手な原稿と共に、虎ノ門での全国大会に進みました。
右の写真は、まだ細かった頃の(笑)新米教師オオバです。背景は教員室。今の教員室とあまり違和感ありませんね。総務部に属して、学校誌「友情」の顧問や、教育実習、母親学級、入試庶務などの仕事をしておりました。この服をどこで買ったのか、までちゃんと覚えております…(老舗デパートの松菱でした)。
以上「私家版」の西遠物語でした。思い出いっぱいです。