昨日は、聖光学院さんに向かう前に、
ちょっと時間があったので休日の朝の西遠を散策。
学園には、春の訪れを告げる花たちが咲き誇っていました。
木瓜(ぼけ)の花の朱色が鮮やかです。
正門東のリキュウバイが木曜日あたりから咲き始めました。
清楚な雰囲気の漂う、白い花です。
ユキヤナギはますます白さを増して、春の勢いを感じさせます。
写真の老校長像の左、河津桜はすっかり若草色の葉で覆われています。
河津桜は、卒業式を終えた後からはらはらと花びらを散らし始め、もうすっかり花は終わりの時期です。
木に下に立ち、改めて河津桜の枝を見上げてみました。
ちょっと薄れたピンクの花、若葉の鮮やかな緑、そして春の空の色。
「さくらわかば」という言葉が、自然と口をついて出ました。
(この頃ひとりごとが多い…笑)
「桜若葉」、
そうだ、「桜若葉」は光太郎の詩にも出てきた!
「あどけない話」…詩集「智恵子抄」の中の有名な詩です。
あどけない話 高村光太郎
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ、
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
福島育ちの智恵子には、故郷で見た空への思いが強く、東京の空を認めたくなかったのかもしれません。
東京生まれの光太郎には、桜若葉の間から見える空は紛れもなく本物の空なのだけれど…。
浜松生まれの私には、西遠の河津桜の下から見上げた、この写真の空は、どう見ても「ほんとの空」です。
あどけないお話でした。