小さな白板2022 第23週

図書館入り口の「小さな白板」、今週も様々な短歌をご紹介しました。「今日の短歌、よかったです」と反響をいただき、喜んでいるオオバです。

10月17日(月)  松潤になりたいと思ったことが思ったことはいちどだけある  永井祐

松潤は言わずと知れた松本潤さんのこと。来年の大河ドラマ「どうする家康」の主役ですね。作者はその松本潤になりたいと思ったことあるんですね(一回だけでも)。松潤になりたいと思ったこと「が」と言ったすぐ後で、思ったこと「は」に言い直している感じが、口語体の実際の告白みたいで、なんだかその場面が想像されます。聞いてた人の表情を見て、慌てて言い直したのか、そのあと、すぐに「いや、別にどうでもいいんだよ、この話は」と照れ隠ししたのか…、続きの場面が気になる短歌です。

10月18日(火)  大輪の華のようなる舞茸に笑い込みあぐ 食べたくなりぬ   長澤ちづ

キノコのおいしい季節です。花が咲くように大きく広がった舞茸(マイタケ)の見事さに、思わず笑いがこみ上げてしまう、そしてそれは食欲に直結する――。食欲の秋ですもの、それは健康な証拠です! 
長澤ちづさんの短歌を「小さな白板」で紹介するのは、今回で3回目ですね。
  たったひとりのマララなれどもつづきくる少女居ることマララに倣え
  切々と「翼をください」唄う人平和を願う翼はつよし 
今までの2作品は「平和」「女性」につながるテーマのものでした。今回は、生活感あふれる短歌です。メッセージ性の高い短歌も、こうして生活の中に根ざす短歌も、両方ともに魅力的な短歌です。

10月19日(水) 
 ひらがなにこころが還りゆくような日々を重ねて泣きやすくなる   永田紅

永田紅さんは歌人でもあり、京都大学の農学研究科の研究員でもあります。仕事に没頭すれば英語や漢字、化学式や数値の洪水の中にいる作者にも、「ひらがなに心が還りゆくような日々」があるのです。それは、おそらくプライベートな時間を指すのでしょう。
この短歌は『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』で出会った一首です。河野裕子さんは作者のお母様で、2010年に亡くなった歌人です。死の前日「手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が」と詠んだ彼女の歌を、夫で歌人の永田和宏さんが書きとめたと言います。病に伏したお母様のそばで、ひらがなに心が還りゆく日々を家族は過ごしたのではないでしょうか。一日一日を大切に過ごした家族の濃密な日々が想像されます。

10月20日(木) ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし 寺山修司

作者の寺山修司さん(1935-1983)は、劇作家でもあり、前衛的な演劇グループ「天井桟敷」の主宰者でもありました。教科書で出会う彼の短歌には、
 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり
 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

等がありますね。

お気づきでしょうか、この短歌は、石川啄木の「故郷の訛なつかし/停車場の人ごみの中に/そを聞きにゆく」へのオマージュです。啄木と同じく東北生まれの彼にとっても、「ふるさとの訛」は大切なもの。それをなくし、標準語で話す友人との語らいの中で、作者はコーヒーの苦さをより苦く感じたのでした。

10月21日(金) 
「おめめ瞑(つむ)ったら何見える?」「はんばあぐ」こんなにしづか虫たちのこゑ  
                      黒瀬珂瀾

黒瀬珂瀾さんの短歌も、今回で三回目の紹介です。
 猿公(あいあい)と白象(ぱおー)、獅子(がおー)を引き連れて児は眠りゆく森の奥まで
 梨、葡萄、蜜柑もなべて「もも!」なれば吾子よ輝(かがよ)へ蒼き夜長を

今日の短歌も含め『ひかりの針がうたふ』という歌集で出会った三首は、いずれも子どもを育てる父の歌。目をつむったらハンバーグが見えるという幼子の世界が本当にいとおしく、それを静かに受け止めて、虫の声を聴くお父さんの姿もまた静かに浮かぶ短歌です。

明日10月23日(日)は第3回中学入試説明会です。小学生の皆さん用に白板、そうっと飾りますね。図書館を通ったら見てください。