令和になって初めての「殉難学徒慰霊式」は、高校生徒会の中央補佐の司会で始まりました。
講堂全体が、ピリリと張りつめた空気です。
最初に、「献鶴」が行われ、各クラスの代表者がパネルを舞台前面の祭壇に飾りました。
舞台下の祭壇中央には、折り鶴でできたパネルの「SEIEN」の文字が浮かび上がります。
動員学徒の皆さんが歌い続けたという「力の限り」、
追悼の意味を込めて戦後作られた「愛の灯」。
二つの曲が哀切に講堂内に響きました。
私は、「愛の灯」を歌いながら、いつも作曲された故新美博義先生の歌声とお話とを思い出します。
このことはまたいつかお話しましょう。
校長として登壇した私は、公式ホームページに掲載されている「戦後70年 西遠の記憶」から3人の方の文章を紹介しました。
当時西遠の中学生だった大中さんの6月18日浜松大空襲での壮絶な体験。
4月30日の空襲で、友人を失った動員学徒のお一人、牧野さんの体験。
そして、5月19日の爆撃で、動員学徒だったお姉様を亡くされた橋本さんの体験。
こうしたお辛い体験を読み上げるたび、涙が出そうになり、必死で嗚咽しそうな自分を抑えます。
戦後74年、戦争ははるか昔のことですが、決して忘却の彼方に消し去ってはならないことです。
生徒の皆さんがこうして慰霊式を継承してくれることへの感謝の思い、
そして、講堂に飾られた花の見事さに、
西遠の生徒たちの平和への決意・心意気・底力を感じた事などをお話させてもらいました。
生徒代表の慰霊の言葉は、高校生徒会長が切々と読み上げてくれました。
10代の皆さんがこうして戦争の悲劇を二度と繰り返さないように誓ってくれることが、大人の我々には何と心強いことでしょう。
続いて、全校生徒が書いた「平和の作文」の中から、代表生3人が作文を朗読しました。
曾祖母の戦争体験を聞き書きした二階堂さん、
非核芸術について調べ、自身が感じたことを述べた大塚さん、
そして、ニュージーランドでの留学生活を終えて帰国した矢先に起こったクライストチャーチでの銃の乱射事件にショックを受けたという大脇さん。
3人の言葉はとても重く、自身と向き合いながら言葉を一つ一つ選んだだろうことが想像されました。
3人とも素晴らしい作文、そして素晴らしい発表態度でした。
毎年、この慰霊式を新聞社の方々が取材してくださいます。
明日の新聞にも紹介されることでしょう。
西遠のこうした地味であっても大事な取り組みが、多くの方の平和への思いや行動につながることを心から願います。