4月2日は、我が愛する詩人高村光太郎の命日「連翹忌」です。連翹(レンギョウ)は、春先に黄色い花を付けます。西遠でも毎年咲く花です。
私は「高村光太郎連翹忌運営委員会のブログ」を時々訪ねます。今日は、第67回連翹忌。ブログには、光太郎の最期の時を書き残した美術史家の奥平英雄さんの文章が掲載されていました。4月1日に大喀血、2日の未明に亡くなられたのだそうです。天には愛した妻智恵子さんが待っていたのですから、彼はようやく痛みからも解放されて妻との再会の時を迎えたのかもしれません。
私は、小学4年の時、高村光太郎を知りました。母から渡された「智恵子抄」という一冊の詩集が、光太郎との出会いでした。今、この本は校長室に置いてありますが、自己流でセロテープで補修した跡だらけの、本当に古ーい本です。私の宝物でもあります。
旧字体の本でしたので、小4の私には読めない字だらけではありましたが、光太郎の奥さんは狂ってしまって、最期にレモンを食べて正気に戻り、亡くなっていったんだ…と聞かされた衝撃的な話を糸口に、難解さに阻まれながらも、特に「レモン哀歌」の一行一行をたどっていたものでした。
この本がきっかけになり、私は、大学3年の「卒論ゼミ」決めにあたり、近代詩ゼミを希望するに至りました。「智恵子抄」を卒論のテーマにした先輩がいたこともあり、「智恵子抄」ではない別の視点から卒論を書きたいと思い、「猛獣編」を選びました。これも、中1の国語の教科書に載っていた「ぼろぼろな駝鳥」との出会いが大きかったように思います。出会ったものは、のちに自分の前にもう一回出現するんだなあ…と感慨深く思います。
出会った本の価値はその時ではなく、何年も、何十年もたって、気づくものかもしれません。
コロナ禍のため、今日東京で行われる「連翹忌」の集いは「令和になって初めて」の会だそうです。私も浜松から静かに光太郎を偲びたいと思います。