小さな白板2023 第18週

爽やかな5月。生徒たちは、近づく定期テストの足音を感じながら過ごした一週間だったかもしれません。放課後、図書館3階で自学に励む生徒もだんだん多くなってきました。入り口の白板を読む余裕があったらいいな、と思いつつ、今週も白板を掲げました。

5月15日(月)
どくだみのブロック塀に添いて延び星をいただくように咲きおり  富田睦子

ドクダミの白い花を見かける季節になりました。富田睦子さんのどくだみの短歌は「短歌研究」2022年8月号で出会った短歌です。来年どくだみの季節が来たらこの短歌を白板に書こう、と書き留めてありました。「星をいただくように」と歌った作者は、他にも
  赦されて楓の下のドクダミは背を高くする白を灯して
とどくだみの花を歌っていらっしゃいます。

どくだみという名前は、子ども心になんだか恐ろしい名前のように感じていたものですが、その花の純白さには荘厳さを感じるのです。 名前は悪役めいて聞こえるけれど、薬草として人々の健康を陰ながら支えるこの植物の白。「赦されて」と歌う作者の表現に思わず共感の拍手をしました。

写真は学園で見つけたどくだみの花たち。日の当たらないところに咲くこの花は、朝ドラ「らんまん」で主人公が上京して住む長屋にもたくさん咲いていましたね。どくだみが咲くってことは日が当たらない環境だということ。主人公は貧しいけれど心優しいその長屋の人々と、東京での日々を過ごしていくようです。どくだみも薬草として生かされそうですね。

5月16日(火)
霍公鳥(ほととぎす) 鳴き渡りぬと 告ぐれども 我れ聞き継がず 花は過ぎつつ  大伴家持

バードウィーク(5月10日から16日)最後の日の白板は、野鳥をテーマにした歌を、と思っていろいろ歌を探しましたら、日本最古の歌集「万葉集」までさかのぼってしまいました。大伴家持(おおとものやかもち)はたくさんの和歌が「万葉集」に収められていますが、鳥の歌もいろいろありました。

ホトトギスが鳴いたと聞くけれど、私はまだホトトギスの鳴き声を聞いていない、もう藤の花の盛りは過ぎてしまったというのに。

ホトトギスの鳴き声は、「鳥の聞きなし」としてよく登場する「テッペンカケタカ」です。私には、どちらかというと「トッキョキョカキョク」に聞こえますが…。

5月17日(水)
見たいもの ほんまに見られるその日まで 螺旋描いて舞いあがる人  俵万智

今年3月31日に、俵万智さんがツイッターに発表した短歌です。朝ドラ「舞いあがれ」の最終回放送直後に、俵さんはこの短歌を作りました。主人公舞ちゃんの人生が一直線ではなく「螺旋(らせん)」だったことに触れています。

何になるか、どんな仕事を選ぶか、夢に到達できるのか、…最短の道を一直線に進める人は少ないでしょうが、朝ドラの舞ちゃんのように、螺旋を描いて少しずつ夢に近づいていくことを信じて、何事にも前向きに取り組んでいけるといいですね。俵さんの短歌は、朝ドラへの応援歌であると同時に、夢になかなか到達できなくて焦っている人々をも応援してくれている短歌なのですね。

5月18日(木)
身分が消えた時何が変わると思う?己じゃ。自分が何者か人はそれを探していく。学びはその助けになる。世の中は変わり続けるけんど、だが、いたずらに振り回されてはいかん。道を選ぶがはいつも己じゃ。   
朝ドラ「らんまん」4月14日放送の池田蘭光(寺脇康文)の台詞

「舞いあがれ」から「らんまん」へ。朝ドラリレーみたいな白板です(笑)。「らんまん」は植物学者「牧野富太郎」をモデルにした物語です。明治時代、土佐の田舎で、どう生きたらいいのか、どう自分の夢や興味と向き合っていくべきかを悩む主人公の背中を押した一人が、「池田蘭光先生」でした。

「自分が何者かを探していく」時に、「学び」は「助け」になる。道を選ぶのはいつも自分なのだ、というこの台詞は、時代を超えて、今の私たちにも向けられています。

5月19日(金)
政治の役割は二つ。一つは国民を飢えさせない事、安全な食べ物を食べさせる事。もう一つはこれは最も大事です。絶対に戦争をしない事。
  菅原文太

2014年、俳優の菅原文太さんは亡くなる28日前、沖縄で行われた集会で 、こう言いました。政治家の役割は、「国民を飢えさせないこと」と「絶対戦争をしないこと」の2つだ、と。広島サミット開幕にあたり、世界の平和を心から願い、この言葉を掲げました。5月19日は、78年前、西遠の先輩方が動員学徒として働いていた工場への爆撃で亡くなった命日です。

5月20日(土)
「わからない」を恐いから面白いに書き換える必要があります。  為末大

為末大さんは元陸上競技選手で、現在はスポーツコメンテーターとして幅広く活躍されています。その為末さんが昨年呟いた言葉から、この1文を書き抜いてみました。

私たちの国は「なにかあったらどうすんだ症候群」にかかっています。この症候群は社会に安定と秩序をもたらしますが、その副作用として社会の停滞と個人の可能性を抑制します。この症候群から抜け出るには、未来は予測できず物事はコントロールできないという前提を腑に落ちるまで受け入れることです。そして国民全員が「やってみよう、やってみよう、やってみなけりゃわからない」を合言葉にすることだと思います。「わからない」を恐いから面白いに書き換える必要があります。一人一人の心配が社会を停滞させています。一人一人の恐怖心が誰かの可能性を奪っています。過去は戻ってこない。未来はどうなるかわからない。考えても答えなんて出てこない。やってみるしかないわけですし、やってみたら違う風景が見えてきます。(後略)

為末大 2022年6月4日のTwitterより

「わからない」ことを、怖いんじゃなく面白いと思って取り組んでみる「勇気」を、私たちも持ち続けたいですね。この日の講堂朝会にも通じる言葉だと思い、白板に紹介しました。

テスト範囲の勉強も、「怖い」んじゃなく「面白い!」と思って、取り組んでくださいね!