今日8月6日は、今から78年前、広島に原爆が落とされた日です。日曜日であったこともあり、広島の平和式典は8時から式典終了時までテレビ放送されました。8時15分、サイレンと共に、私は今で母と二人黙祷を捧げました。皆さんはどこでヒロシマを、平和を、想ったでしょうか。
私は、昨日、図書館入り口に次の短歌を掲げました。2021年9月5日の朝日歌壇に掲載された短歌です。
八月の六日八時十五分ひとりひとりにあったその刻(とき) 中澤隆吉
一人ひとり誰にでもあった8月6日8時15分。この短歌を彷彿(ほうふつ)とさせるような新聞記事に出会いました。「あの夏 青春の1ページ」と題された朝日新聞8月5日夕刊一面の記事です。
そこには、78年前の8月5日、広島の10代の少女たちが綴った日記の文面が紹介されていました。13歳の少女熊本悦子さんの日記には、ご飯を炊いて夕食をこしらえた記述があり、身重のお母さんの体調を心配していました。翌日は家屋疎開の整理があるとして、明日も一生懸命頑張ろうと書いた森脇瑤子さんは、音楽の道を目指している少女でした。二人とも翌8月6日の原爆で大やけどをし、悦子さんは7日午前に、瑤子さんは6日の夜亡くなりました。
また、記事には、長崎で長崎医科大に通っていた17歳の秋口明海さんの日記も紹介されていました。8月7日、ドストエフスキーの小説を読み、「人間の最大の宝は愛の心だ」と感想をしたためた日記を残した秋口さんは、8月9日長崎への原爆投下時、解剖学の講義中に被爆したとみられていますが。遺体は見つからなかったそうです。日記は兄によって大事に保管されました。
誰にもあったその刻(とき)。しかし、ささやかな日常は、原子爆弾によって突然遮られ、命さえも奪われてしまいました。必死で生き、懸命に生活していた人々の未来を奪った原爆。若者の語る愛さえも原爆は奪い去りました。
平和祈念式典の中で、広島市長や広島県知事が、そして小学生代表が述べた言葉はいずれも心に重く響きました。グテーレス国連事務総長の言葉を代読した中満泉さんの姿も心に残りました。式典の客席にいたサーロー節子さんの姿も忘れられません。人類はいつまで「核」を持ち続けるのでしょうか。広島の人々の言葉が、たくさんの折り鶴が、強く訴えかけています。
8月9日11時2分、長崎の原爆投下の時刻には、今年も「忘れないプロジェクト」への参加が呼び掛けられています。11時2分に写真を撮る、というプロジェクトに、どうぞ今年もたくさんの生徒が参加してくれますように。今年の写真展はナガサキピースミュージアムで10月末から行われるそうです。これは、ちょうど高校2年生が九州研修旅行で長崎を訪ねる時です。写真を撮るプロジェクト、写真展を訪れるプロジェクト。平和を継承する行動が、西遠生の中でささやかですがしっかりと受け継がれていくことを願います。