今日8月9日は、78年前、長崎に原子爆弾が投下された日です。皆さんは、11時02分をどこで迎えましたか?
私は、今年、母の通院先の待合室でその時間を迎えました。待合室のテレビが長崎の平和祈念式典の模様を伝えており、テレビの鐘の音と共に、母と黙祷しました。
長崎市長は、今年、田上さんから鈴木史朗さんへと引き継がれました。毎年、田上市長の平和宣言に心打たれてきましたが、被爆二世である鈴木市長の初めての「平和宣言」も、強く胸に響くものでした。被爆者として長年その惨状を世界に伝え続けた故 谷口稜曄(すみてる)さんの被爆体験の朗読から始まった平和宣言では、谷口さんが遺したという次の言葉が心に残りました。
過去の苦しみなど忘れ去られつつあるようにみえます。
谷口稜曄
私はその忘却を 恐れます。
忘却が新しい原爆肯定へと流れていくことを恐れます。
谷口さんがもし今生きていらしたら、この世界情勢に、「新しい原爆肯定への流れができてしまうではないか!」と心から憤るのではないだろうかと思いました。鈴木長崎市長は、次のように呼びかけました。
地球に生きるすべての皆さん、一度立ち止まって、考えてみてください。被爆者は、思い出すのも辛い自らの被爆体験を語ることで、核兵器がいかに非人道的な兵器であるのかを世界に訴え続けてきました。この訴えこそが、78 年間、核兵器を使わせなかった「抑止力」となってきたのではないでしょうか。
2023長崎平和宣言より
私たちは、間違いなく「地球に生きるすべての皆さん」の一人です。呼び掛けられた一人として、核の問題を自分事としてしっかりと考え、行動せねばなりません。谷口さんをはじめとしたたくさんの被爆者の方々の、自身の辛さや苦しさを乗り越えて発信してこられた訴えを、私たちは確実に継承しなければと思います。
今年、長崎市では、「11時2分」を「原爆投下時間」ではなく「原爆が炸裂(さくれつ)した時間」として統一することになったそうです。今年九州を訪ねる高校2年生たちも、原爆資料館で78年前に「炸裂」した原爆と、そのきのこ雲の下での惨状を学んでくることでしょう。
朝日新聞の夕刊を開くと、「忘れないプロジェクト」の小川忠義さんとお孫さんの記事が出ていました。(→デジタル版は有料ですが、途中まで読むことができます。)
鈴木市長も、被爆者代表の女性も、若い世代への希望を力強く述べました。毎年、殉難学徒慰霊式を行い、高校2年生が長崎を訪れる西遠の生徒たちは、このお二人の希望を、どう受け止めていくのでしょうか。「忘れないプロジェクト」を続ける小川さんの思いをどうつないでいくのでしょうか。
静かに考え、動き始める夏でありたいと思います。