9月2日に高校講堂朝会を行いました。「人生の基盤を作る」という趣旨で、次のような話をしました。
- 卒業でワルシャワ在住のピアニスト西村美穂さんのこと
- ジャーナリストとしてウクライナを取材する新田義貴さんのこと
- 10代20代の若者の間で闇バイトや薬物使用などの問題があふれているが、その価値観や人生観に危機感を感じていること
- 西遠での日々の中で本気の大人と出会って人生の基盤を作ってほしいということ。
生徒からこの講堂朝会に対する「集会記録」が寄せられ、様々な感想を読みながら、私は、生徒たちのささやかだけれど確実な「覚醒」を感じました。今日は、その感想をご紹介します。
西村さんの生き方に触れて
- 私は今日の話を聞いて、改めて戦争はしてはいけないと思いました。今まで当たり前に送ってきた生活が奪われてしまうと考えると凄く怖いなと思いました。自分の大切な人までも奪われてしまうのかと思うと、私たちには計り知れないくらいの悲しみや苦しみ、辛さを感じているんだなと思いました。テレビでウクライナの小さい子が親とはぐれてしまって一人で泣いて歩いているのを見て、「なにかしてあげたい。」と強く思ったけれど何もしてあげられませんでした。けれど西村さんは、ワルシャワでウクライナの方を救うという行動に移せていたのがすごいなと思いました。西村さんの行動力は西遠の六年間にあったんだというお話を聞いて、西遠に入学して良かったなと思いました。自分の思いを行動に移すことが私はすごく苦手なので、これから西遠の1000日間の修行の中で変えられたらいいなと思います。(高校1年)
- ショパン音大の講師をしている西村さんの話を聞いて、誰かのために自分も動くことが大切だと思いました。行動を起こすことは勇気がいるし、簡単なことではないと思います。でも、少しずつ自分ができることをしていくことが大切なんだなと思いました。まずは身近にいる家族や友達などが困っていたら手助けするようにして助けるということに慣れていき、もし、知らない人で困っている人がいれば手を差し伸べられるような人になりたいと思いました。困ったときはお互い様という言葉を頭の片隅において生活していきたいです。今回の話を聞いて戦争や人助けについて改めて考えることができました。(高校1年)
- ポーランドのショパン音楽学校で教師として働き、ウクライナから逃れてきた音楽の学生の方々を支援している西村さんに感銘を受けました。「ウクライナの人がショパン音楽学校に来て一緒に過ごしているうちに悲しみの表現がショパンの曲でできるようになった」という西村さんの言葉が印象に残っています。誰かに手を指しのべている方々には憧れるところがあります。そして「やはり西遠での平和教育が生かされた」と西村さんがおっしゃっていたと聞いて、平和教育の重要さや、我々も日本に避難してきているウクライナの方々に支援していかなければいけないなということを改めて認識した気がします。人々に温かい心で接すること、何かで繋がり合うことの大切さを教えてもらいました。(高校3年)
音楽の力
- 高3の先輩が講堂内でおっしゃっていたように、音楽は言語を介するものではなく、人種や世界共通に関係なく、誰でも楽しむことができ、楽器を奏でる人は伝えたい思いを音楽に込め、その音楽を聞く人はその思いを受け取ることで、心を一つにできるものだと感じました。新田さんの動画でも、ウクライナの方が、本気で音楽を学び、楽しんでいる気持ちや、楽しめているありがたさを感じている気持ちなどが伝わってくるような気がしました。(高校2年)
- 故郷のウクライナから戦火を逃れ、隣国ポーランドのショパン音楽学校で祖国ウクライナの伝統的な楽器を演奏し、懸命に音楽を学び続けようとする女性に、私はとても感動しました。そしてその女性がポーランド人の方や西村さんと音楽を通じて関係を築いていく様子に私は音楽の良さを再確認しました。言葉が必要なく、どんな状況にあったとしてもどんな気持ちでいたとしても、人の心に寄り添うことができるという音楽の特徴は、何者にも変えることのできない、尊いものであると思います。私は小学校のころから音楽を習い始め、西遠に入ってから今年の3月までずっとギター・マンドリン部の部員としてたくさんの時間を楽器を演奏することに使ってきました。今回、このドキュメンタリーを見たことで自分が今まで頑張ってきた音楽を通してもしかしたら将来この方々のように知らない人と分かり合うことができる日がくるかもしれないと考えると、今まで音楽をすることができていた時間の尊さを再確認することが出いました。ギター・マンドリン部を引退してから、一度も楽器に触れることができないでいる今の状況のなかで、私は将来自分が音楽を続けて行きたいのか、そして現実的に続けていけるのか最近では悩むことがすこしありました。ですが今回、そんな私が忘れかけていた音楽の素晴らしさをもう一度教えてもらい、これから高校を卒業し、状況が変わり、忙しくなるかもしれないけれど、自分にできる範囲で音楽を続けていこうという気持ちになることができました。(高校3年)
ショパンとポーランドのこと
- 私はクラシック系統の音楽には疎く、ショパンに関することといえばバスの宣伝で見かけた友好都市のショパン像のことくらいだったが、ショパンが戦争への怒りや故郷への思いを曲に込めていたことを知り、ショパン大学の方々はこれからの音楽を担っていく世代の芽が摘み取られないようにものすごく尽力しているなと思った。以前、ポーランドの舞踊団の公演のときにも思ったのだが、ポーランドの人は過去を大切にする人々なのかなと思った。公演に先立ち、「日本人がポーランド人を助けたことから、ポーランドは親日国です」というお話があったのを思い出した。アウシュヴィッツを負の遺産として後世に残していることもそうだと思う。加害、救済の恩の内容に関わらず「二度と同じ過ちを繰り返さない」または、これは私の一方的な推測に過ぎないが「ポーランドが救ってもらったことをいつか何処かの国に返そう」と一人一人が国に関わらず過去を大切にし現在の救済へと結びつけている人道的な姿勢に感銘を受けた。(高校1年)
ポーランド少年少女舞踊団 LUZ の皆さんの公演 ポーランドと日本の交流を紹介する「ポーランド市民交流友の会」影山会長様
- ショパンの曲について調べていると、故郷への思いを込めたような曲が多くありました。にもかかわらず、ショパンは故郷を離れてから二度とポーランドに戻らず生涯を終えたのはとても悲しいことだと思います。それを表現したような「別れの曲」というその時期に作られた曲があることを知りました。故郷との訣別に慟哭するショパンの心情を表現したような曲と紹介されていました。気になったので実際に聴いてみましたが、最初は柔らかで優しい感じなのに中盤辺りからだんだん激しくなり、悲しみや怒りを表現しているようでなかなか頭から離れませんでした。ショパン自身が、「これ以上美しいメロディは書けなかった」とのちに語ったほどの名曲です。そう考えると、避難先でも好きな音楽を続けられるのは幸せなことなのかもしれません。こうやって好きな音楽で多国籍の方と心が通じ会えるのは素敵なことだと思います。(高校1年)
- ポーランドは悲しい歴史を持つ国だと思います。ロシア、オーストリア、プロイセンの3つの国に分割され、ワルシャワ大公国としてロシアの支配下に置かれ、第二次世界大戦ではナチスドイツに侵攻され散々な目に遭わされます。世界史を習っていると、ポーランド人が主権をもっていた時間は、歴史上とても短いように感じられます。そんな悲しい歴史があるからこそ、今ロシアに侵攻されているウクライナの悲しみや苦しみを他人のこととせず、親切に手を差し伸べる優しさをもつことができるのだなと感じました。(高校3年)
見たもの・聞いたことから、何を感じ、自分を振り返って、どう生きようと考えたか、どう行動しようと思ったか…それは、人それぞれ違うと思いますが、集会記録の中には、「調べよう」「動こう」とする気持ちが詰まっているのが感じられました。今日の「その1」では、西村さんという卒業生の行動やその基盤について思ったことや、「音楽」にはどんな力があるのか、そして、音楽から発展して「ショパン」「ポーランド」についての感想を掲載しました。
続きもどうぞお楽しみに。