3月3日は、西遠女子学園の創立記念日です。
毎年、全校生徒が講堂に集い、「創立讃歌」を歌って学園のお誕生日をお祝いします。
そして、卒業間近の高校3年生は全員で創立者の墓参に行きます。
西遠の年中行事であるこの「創立記念式」の一日も、
今年は残念ながらコロナ対策のために「家庭学習日」となってしまいました。
本来でしたら、舞台上で全校生徒を代表して高校生徒会長が「誓いの言葉」を読み上げます。
式典はできませんでしたが、高校の会長さんは「誓いの言葉」を書き上げていました。
ですから、ここにぜひ会長さんの「誓いの言葉」を掲載したいと思います。
生徒の皆さんは、ぜひ自らのこととして読んでほしいです。
「誓いの言葉」
創立百十四年、おめでとうございます。生徒一同、心よりお祝い申し上げます。
明治39年、創立者岡本巌先生によって開かれた静岡県西遠女子学園は、「婦人の中に未来の人は眠れり」という建学の精神のもと、百年以上にわたる長い歴史を教師と生徒の日々の歩みによって紡いできました。数々の苦難を乗り越えて学園の発展に尽力された先生方、各方面で活躍され、私たちに人生の指針を授けてくださる先輩方の努力に、私たち在校生は感謝の気持ちでいっぱいです。
私たちは今、ここ西遠で二千日の修行に励んでいます。建学の精神にふさわしい女性になるための修行は実に多岐にわたっており、授業はもちろん静思堂や講堂朝会で人生経験豊かな学園長先生や校長先生からお話をいただいたり、学園祭などの行事では、クラスで一つの作品を作り上げることの素晴らしさや難しさを学んだりしています。また、姉妹ピア活動では縦のつながりの中で、西遠生としてのふるまい方からグループをまとめるリーダーシップまでを、六年間を通して段階的に学んでいます。私はこうした一つ一つの学びの中に「歴史」の重さを感じています。百十四年の歴史の中で磨かれた西遠ならではの教育と、新しい歴史を開いていくのだという西遠生の誇りがあるからこそ、私たちはのびのびと、たくましく学園生活を送ることができるのだと思います。このように恵まれた環境の中で青春時代を過ごせることは、私たちにとってかけがえのない財産です。
今、未来を担う私たちには目まぐるしい速度で変化する社会をしなやかに生き抜く力が求められています。将来大きな困難に行く手を阻まれた時、その障害から目を背けることなく、前に進むことのできる私でいるために、もう一度西遠の生徒であるという自覚を新たにしようと思います。
女性としてのしなやかさと芯の強さを併せ持つ「鋼の玉を真綿でくるんだ女性」になるべく、日々精進していくことをここにお誓いし、誓いの言葉とさせていただきます。
「しなやかさ」と「芯の強さ」を併せ持つ女性に、という会長さんの言葉は、校長の私にも強く響きました。
「未来を拓く女性」を目指し、そうした女性を育成したいという先生たちの願いに、凛として応えてくれた「誓いの言葉」でした。
創立者岡本巌先生、そしてその建学の精神を引き継いで学園を大きく発展させた岡本富郎先生。
卒業生が行くはずだったお二人のお墓参りは、2月29日(土)の午後、8名の「卒業委員」が学年を代表して行ってきました。
2000日の修行を終えた卒業報告です。
本堂での読経の後、お焼香をした生徒たちは、法林寺のご住職から「そのお作法は立派です。間違いありません。」と太鼓判を押していただきました。
西遠での日々が、こうしたお褒めの言葉につながったのだと思います。
ありがたいことです。
そして、この墓参に行けなかった生徒たちは、「私の分まで拝んできてね」と卒業委員に頼んだり、「個人で行ってもいいですか?」と先生に聞いたりしたとのこと。
私たち教員には、とても嬉しい言葉でした。
ぜひいつかお墓参りをして、自身の成長と決意を静かに誓ってください。
さて、創立記念日を迎えるたびに、強く惹かれる言葉があります。
それは、図書館の下に掲げられている「学園の歴史と伝統」という文章です。
ここに書かれた「学園の歴史と伝統は作られたものでなく教師と生徒との不断の日常生活の中に生まれ育まれた行動の記録である」という言葉は、西遠の生徒だった時代からずっと私の心に刻まれています。
歴史は誰かが作るのではなく、生徒である自分自身が毎日を歩んだ記録なのだ、・・・私はこの言葉が大好きでした。
そして、教師となってからは、この壁の文章に、私学の教員としての責任というものを感じるようになりました。
歴史は誰かが作るのではありません。
教師と生徒で西遠の歴史は刻まれます。
「不断の日常生活」という言葉の重み、それを教員こそ自覚し、生徒に伝えていかなくてはならないのだ、と。
記念式はできませんでしたが、
この記念の日に、富郎先生の書かれた文章をもう一度読み返し、西遠の未来を拓いていく私たちでありたいと思います。