保護者の皆様、もうお手元に『友情』は届きましたか? 西遠の学校誌『友情』が、今回の発行で遂に300号を数えました。今朝クラスで配られましたので、お子さんからご家族の皆様にもそろそろ渡っている頃かと存じます。
『友情』、その記念すべき第1号が発行されたのは、昭和4年11月のことでした。『フレンドシップ』と名付けられた新聞として、『友情』はその産声を上げ、西遠の歴史に登場したのです。「発刊之辞」を書かれたのは創立者の岡本巌先生でした。岡本富郎先生は、『フレンドシップ』という名前について、「青年期に得られる尊いものとしての『友情』こそが若き日の最大の思い出」と語られ、「英語の方がハイカラで時代の最先端を行く言葉」だと命名の由来を話していらっしゃいます。その後、戦争の影響を受け、外国語禁止令によって「友情」となり、戦争が激しくなるころには発行すらできなくなりました。戦争が終わり、昭和22年、『フレンドシップ』は文芸部の手で復活、自治会(生徒会)の手を経て、『友情編集委員会』が組織されたのが昭和32年のことでした。
昭和4年(1929年)の発刊から実に94年の歳月を経て、学校誌「友情」300号が発行されたのでした。記念すべき300号の表紙は、歴代の『友情』の表紙たちです。西遠の教頭先生を務め、浜松の宗教画家としても有名な佐々木松次郎先生の描かれたものや、生徒の作品、そして写真へと、長い歳月の中で表紙も変遷を重ねてきました。300号と書かれた表紙を眺めるだけでも味わいがありますね。
友情編集委員は、今回、300号の記念ページの編集にも挑みました。
p30~p33まで4ページに渡って、表紙の歴史、『友情』の変遷、特集号の歴史、時代別のニュース、そして卒業生や編集委員の大先輩へのインタビューなどが掲載され、10名の編集委員の感想も紹介されています。編集委員たちにとって、なんて有意義で濃密な夏の宿題だったことでしょう。ぜひこのページをお読みいただき、300もの冊子に刻まれた西遠の歴史に思いをはせてください。
私は、新任時代の5年間と、100周年の前後10年の合計15年、「友情」顧問を務めました。新人時代にちょうど300号の半分にあたる150号を担当していたこともあり、大変感慨深いものがあります。あの頃の編集室は高校館の2階でした。編集の仕事に打ち込みすぎて、カギ閉めの先生が電気を落としてしまい、真っ暗になった階段を編集委員たちときゃあきゃあ言いながら降りたのは、一度や二度ではありませんでした。昭和時代の思い出です。
2回目に顧問になったのは、2004年のことでした。毎号、「カウントダウン100周年」の特集を組み、編集委員たちも様々な角度から西遠の歴史を調べました。あの頃は忙しい忙しいとぼやいて締め切りと格闘していた編集委員たちも、今思えば、学園の歴史を訪ね、学園の今を刻むという本当に幸せな体験をしていたのではないでしょうか。(私が顧問になる前年まで娘が編集委員を務めていて、原稿を書き上げては「寝不足だー」と嘆いていたことを思い出します。彼女も今その力を存分に活かしていることでしょう。)
今年度から、『友情』は年2号発行という体制となりました。今までの半分の号数にはなりますが、一冊に盛り込まれる内容はぎゅぎゅっと濃縮されるので、編集委員の苦労が断然軽くなる!ということはないでしょう。編集委員さん、プライドを持って取材と編集をよろしくね。
学園の歴史を記録するという重大な役割を担う『友情』を、どうぞ皆さんじっくりお読みください。そして、そこに編集委員の汗と涙がこもっていることを、どうぞ忘れないでください。94年という年月の間にたくさんの編集委員がコツコツと取材し、原稿を書き、大いなる力を発揮してきたという歴史と共に…。