後期が開始した最初の一週間、図書館入り口の「小さな白板(ホワイトボード)」を飾った歌をご紹介します。
10月17日(火)
過去を知り歴史の真実見きわめる洞察力をみずからに問う
諏訪兼位
後期スタートにあたり、この一首を選びました。イスラエルがガザ地区に侵攻しようとしているときに、「歴史の真実」を見極める「洞察力」が果たして私にあるだろうか、そう突きつけられているように感じた短歌でした。「歴史」を学ぶことの深い意味を、そしてそれを理解するだけの思考力や判断力を、生徒たちにも知ってもらいたいと思いました。
作者の諏訪氏は地球科学者で、朝日歌壇賞も受けた方だということ、2020年にお亡くなりになったことを、先ほど知りました。朝日歌壇ライブラリーで出会った短歌ですので、作者がどんな方かは知る由もありませんでしたが、改めて短歌に親しむ方々のそれぞれの人生をしみじみ想った次第です。
10月18日(水)
屋根にをる白鶺鴒が尾をふれば屋根にはなんにもなくて日が照る
渡辺松男
見上げた屋根には、一羽のハクセキレイの他に動くものはなく、ただただ日が照っているだけ、という短歌に、静と動の穏やかさを感じます。作者は、脊椎損傷で病床にあるとのことですが、自由に動けぬ体と目が、周囲の風景を静かに、優しく、そして丁寧に、三十一文字にしているように思われました。渡辺氏の短歌を「短歌研究」9月号・10月号で読みながら、明治時代を生き、病床から幾多の秀歌・名句を発信した正岡子規を思い浮かべました。
さて、皆さんは白鶺鴒(ハクセキレイ)を知っていますか? 秋休み、帰省した娘と訪れた大河ドラマ館で、ハクセキレイが芝生の上で遊ぶ姿を二人のんびり見ていました。尾を振りながら歩くハクセキレイの姿はとてもかわいいものです。
校舎の屋上に ベンチに映った自分を威嚇!?
ハクセキレイは西遠でもよく見かける野鳥です。チチチチと美しい声でさえずっていますよ。地面を尾を振りながらすばしっこく歩んでいる鳥を見かけたら、「これがハクセキレイだな」と思ってください。但し、目の下が黒かったら、「セグロセキレイ」、つばさの後ろ側が黄色だったら、「キセキレイ」です。
セグロセキレイ キセキレイ
10月19日(木)
すね肉とビーツを煮込む日のくれのとほき戦争女たちをおもふ
紺野裕子
「ビーツ」は、カブのような外観で、中身が赤い野菜。ロシア料理でよく使われます。作者はビーツを調理しながら、ロシアやウクライナのことを考えたのでしょう。そこに生きる女性たちは今どうしているのだろう、どんなことを考え、どんな生活を送っているのだろう…。
遠くで起きている戦争でも、私たちは、それを想像する力を持っています。同じ地球上で起きている戦争、そこに生きる人々のことを、想像し、どんなことができるの亜かを一人一人が考えていかなくてはなりません。
10月20日(金)
ヒトのみの宇宙にあらず月面の整備計画呆然と聞く
三浦 柳
宇宙開発と聞くと、科学の力や可能性を感じワクワクしますが、少し見方を変えてみると、人間はどこまで欲望・野望を行動に移し、実現させていくのだろうか、と、そのおごりや傲慢さについて考えさせられます。
違う立場で考える「エンパシー」が必要という話を前期にしましたが、こうして、様々な事象に出会ったとき「他者の靴を履く」ことを意識して生きていきたいなと思いました。
10月21日(土)
泣きながら死ぬのはいやだと言っている 子どもにいわせていいはずがない
五十嵐順子
この短歌に出会ったのは、昨年のことでした。ウクライナから命からがら逃げている子供の泣き声、泣き顔のニュース映像を私も見ました。親は残り、子どもだけが避難する姿も見て、なんて理不尽なことが起きているのだろう、と心が痛くてたまりませんでした。
そして、今、ハマスとイスラエルの衝突から、ガザ地区の人々が泣き叫んでいる映像が次々に飛び込んできます。誰だって死ぬのはいやなのです。大事な人を失うことは身を切られるほどつらいことです。ガザ地区の窮状を伝える映像を見ながら、今こそこの短歌を白板に書き、生徒たちにも伝えたいと思いました。
心から、平和を望みます。人道的な解決を望みます。
10月22日(日)
傍(かたわら)に猫はふくふくとまるまると何不自由を知らぬ顔なる
若山喜志子
22でにゃんにゃんの日なので、入試説明会の行われる日曜、図書館の入り口にネコの短歌を掲げました。校内見学をした皆さんに、見つけてもらえたなら幸いです。説明会ご参加ありがとうございました!
泰然自若とした猫の姿を心に思い浮かべると、いいなあと心が和みます。長く犬派の我が家でしたが、短い期間、猫を飼ったことがありました。それなりに大変でしたが、傍らに猫がいてほしいと思うこともあります。猫を飼いたいなあ、実現できるかなあ…。
皆さんのお宅の猫ちゃんはどんな感じですか?
☆ ☆ ☆
先週は谷村新司さんの訃報も届き、寂しさを禁じ得ませんでした。高校時代、深夜のラジオから流れてくる、まだ売れる前だったアリスの曲(ギターのCMでした)、「冬の稲妻」が売れて急にアリスがメジャーになって、ラジオで谷村さんの軽妙なおしゃべりを聞いてお腹を抱えて笑ったこと、その笑えるエピソードの中に浜松でお客さんが数名というコンサート(デパートの催事場だったそうです)があったこと、翌日教室ではその話題で友達と大いに盛り上がったことなど、個人的な谷村新司さんの思い出を懐かしく心に甦らせていました。
生徒の皆さんも今出会っている音楽や映像、その作り手の人々などを、何十年かたった後に思い出す日が来るでしょう。その時、その思い出の場面には、西遠時代の友人が一緒に登場しているのではないでしょうか。10代の日々は、いつまでも胸に残っているのです。