「学習」について高校生が考えたこと 2 ~集会記録より~

昨日に引き続き、6月15日「学習」についての講堂朝会に対する「集会記録」から、高校生の感想を紹介します。

今回の講堂朝会では、2023年2月の講堂朝会「学ぶということ」のスライドも再度提示し、「良い授業とは」について全校生徒に問いかけました。

去年2月のスライドの話では、あの話からもう一年が経っていたという時の流れの速さに驚いたのと同時に、デジタル授業アンケートから時間が経って「目標を意識する」という意識が薄れていたというのに気づきました。今年は特に授業に重きをおいて学校全体が学習に取り組んでるので、特にあのときに意識したように毎授業目標をしっかりと確認し、それを達成できるように授業に真剣に取り組んでいきたいと思います。(高校2年)

私は、「良い授業」を受けたいと思うのなら、自分たちが何かちょっとでも「良い授業」となれることをしたら、普段の普通だと思っていた授業が「良い授業」に変わる、要するに「良い授業」というのは生徒側の私達がなにか意識をしただけでも作ることができるのではないかと思います。(高校2年)

クリティカルシンキング・モヤ感についての意見もありました。

知識や知恵というのは「情報」の授業でも習いましたが、見聞きした情報を自分で噛み砕いて理解して得て、その後に応用していくものであると知りました。そのためにも授業に集中し、後の復習のときに一体どういう意味なのか、なぜそうなのかを自分なりに考え自分で調べ知恵として取り入れて行きたいと思いました。校長先生が話のなかでおっしゃっていたクリティカルシンキング、論理的思考について、これらの考え方というのはこれからの時代本当に大切になっていくことだと思いました。情報社会、ネット社会の中でいかに正しい情報を見抜き取捨選択するか、また自分なりの視点で考え説得力を持つ、一貫性を持つことというのは論理的思考が必要になってくるのかなと考えました。「本質的な議論、検討を重ねることでより良いものへ導くことができる」というのは学園祭のHR展を筆頭に学園生活の中でかなり多い印象があります。自分なりのこだわり、考えを躊躇せずに出し合える、こういう事ができるのは将来とても役立つと思います。そういったことができるようになるために、何事にも関心を持ち、自分なりに考えてみるということをしていきたいです。(高校2年)

これから求められる3つの大切な言葉の中で私は一番「モヤ感」という言葉が心に残りました。モヤ感とは問いに答えを出したあとの不完全燃焼感で知的好奇心につながるものです。わたしは勉強をしていてよくこのモヤ感と思われるものに襲われるときがあります。なんでだろう。どうしてだろう。答えはわかったはずなのになぜか心がモヤモヤすることがあります。この気持ちは知的好奇心につながり自分の成長につながる気持ちだったと知り大切にしようと思いました。(高校2年)

モヤ感についてもう一人。実は、今、6年月組の文学国語を担当しています。夏目漱石の「現代日本の開化」の授業への反応をいただきましたので…。

先日校長先生の「文学国語」の授業を受講し日本史と関連して覚えることができることにいまさら気が付きました。「明治にあったことは?」と聞かれた際咄嗟に考えましたが何も浮かばずショックを受けました。それと同時にこれが「モヤ感」!?と気付き、ハッとしました。その日家に帰って明治の範囲の教科書を読んだことを覚えています。このように教科と教科の関連に気づき、モヤ感を獲得することで学習への意欲が向上することに気がつくことができました。このように、講堂朝会をとおして改めて授業とモヤ感の重要性に気づき、より一層興味を持って授業と向き合うことができるようになっています。国語と日本史の関連性、国語の読解力と英語の長文の関連性などをこれからも重要視し、一つ一つの学習を大切にしていきたいと思います。(高校3年)

教科と教科の関連に気づけたのは嬉しいこと。それぞれの角度から探究する「教科」の知識は、こうして教科を超えて融合させることで、問題解決へと進むことができるのです。モヤ感を刺激する授業、続けていきます!

今、思い悩んでいることを、正直に書いてくれた生徒もいました。

私は今まで勉強だけに限らず、なににしても上には上がいることを思い知らされ、成績が上がっても喜べず、勉強することや努力することが辛くなることがありました。でも、精一杯取り組めばいつか努力が実る日が来るはずなので焦らず頑張ってみようと思いました。(高校2年)

焦らなくても大丈夫。努力が実る日を信じて歩みを止めずに前進しましょう!
次回は、入学して3か月の中学1年生の感想を紹介したいと思います。